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じいちゃんの話

IMG_0082 祖父の写る集合写真(表)

 ふと、先月、祖母が亡くなって10年と話をしたところですが祖母が亡くなった年の12月に祖父が亡くなったので、祖父もなくなって10年になります。

 なんだかきな臭いニュースがたくさん流れる中で思ったことですが、祖父が生きているうちにもっと戦争の話とか、祖父の若い頃の話を聞いておけばよかったと思うことがあります。

 小学生のころ、戦時中の話などを平和教育で学びはしましたが、父方の祖父はなかなか自らは話してくれませんでした。母方の祖父母は戦時中は小学生だったのもあり、色々話してはくれましたが、母方の祖母は佐賀藩の上級藩士の家で不在地主として多くの土地を持ち、家には家政婦がおり、戦後すぐに私立の女子高に通う家であまり不自由しておらず、母方の祖父も戦時中は朝鮮開拓農民として現在の北朝鮮で生まれて、終戦時は大連で陸軍少年兵の志願書類の合否待ちだったらしく、帰国後に苦労してその時の話はしてくれました。

 しかし父方の祖父、祖母ともに戦時中の話はしてくれませんでした。母方の祖父母は話してくれたのに、父方の祖父母話してくれないことに小学生の頃はちょっと不思議に思いながらも、忘却の彼方に行っておりました。

 結局、話さなかった理由は祖父母が亡くなった後に遺品整理中に祖父が遺した手記が見つかり、そこで理由がわかりました。

 私の父方の祖父は大正7年2月に現在の山口県下関市豊北町の漁師の家に生まれたようです。本家の山本家に生まれたようですが、祖父が5歳ごろに漁に出たまま行方不明、結局、現在も船も見つかっていないようですが、そこから大黒柱を失い苦労したようです。小学校を次席で卒業するものの、極貧の漁師の家だったからか上級校には進学せず、小倉の古書店に丁稚奉公の形で勤務、このときに書店の店長がいい人だったらしく、旧制早稲田大学商学部の教科書を取り寄せて勉強したそうです。

 なお、当時は師範学校などは学費が無料だったようですが、祖父の村は皆が貧しく、小学校を首席卒業したライバルは家の農家で馬車引きをしていた、と大昔に父に話したことがったそうです。

 その後順当に徴兵検査を受けて陸軍に入営、除隊、臨時徴兵と合計3回の徴兵を受け、大陸に渡ったようです。 これが話したがらなかった理由のようでした。

 祖父は満州北部に派遣され、身長が低かったことから砲兵隊に配属。砲兵だったことから騎兵や戦車、歩兵と違い、最前線で突撃することがなかったのが幸いしたようです。それでも一度、狙撃兵に撃たれヘルメットと頭の間を貫通したらしく、後方でめでたしとはいかなかったようです。

 終戦時は曹長か軍曹、自決を説く若手将校を𠮟りつけて生き残ったようです。戦後すぐには本土には戻らず、中国大陸で祖母と結婚し、共産党支配化の炭鉱で作業員として従事し、大陸にずっと残るつもりだったようです。手記によると共産党の監視員から勤勉さをほめられたことなどが書いてありました。

 しかし、運命は許さなかった。国共内戦や戦後処理のバタバタの中で発生した日本人虐殺事件、通化事件に遭遇。祖父は通化市の中心部ではなく隣の町に住んでいたこともあり難を逃れたようですが、当時の日本人上司や同僚が殺害され、伯父を身ごもっていたこともあり大陸からの脱出を決意したようです。

 大連から博多への引揚船が出ているという情報を入手した祖父はほとんどの財産を大陸に残して伯父が生まれたときに大丈夫なように粉ミルクとおむつ、そして賄賂に使える腕時計を持ち町を脱出。途中の大陸鉄道で強盗に襲われ粉ミルクとおむつの入ったカバンを強奪され、大連までの間に腕時計や財布などほかの日本人避難民と賄賂を融通しあいながら大連に到着。

 博多港に入港した時に伯父が生まれたと言っていました。

 私の周囲の同年代の祖父母で、戦時中に軍歴があり、大陸で苦労した経歴を持つ人は少なかった。だいたいが曾祖父母で、私が小学生の頃は大抵亡くなっていたりして、戦時中の話を聞ける祖父母からは戦時中の貧しさや、貧しい中での遊びの話をメインに聞くのみでした。

 それを知っていたからか、当時の通化事件、大陸情勢が口を閉ざすような凄惨な現場だったのか。小学生に話せるものじゃなかったか、そもそも誰にも話したくなかったのか。たぶん、後者だったでしょう。

 祖母が亡くなる前に、祖母から戦時中の写真と満州事変出征時に下賜された臨時国債を譲り受けました。写真は満州の街並みや、兵士たちの写真、戦車の訓練や満州の子供たちとの交流を写したもの。祖父はこの写真を譲る気はなかったようでしたが、私が政治史に興味を持っていることを話したときに、祖母がもう先はないからと譲ってくれたのでした。

 まだ写真は手元に残っています。が、古い写真。転勤族の私が持つよりも博物館や資料館に寄贈したほうが良いと思いながら決断できずにいます。

IMG_0307 在外私有財産返還請求通知書(裏)

IMG_0316 引揚者給付金通知書・祖父(裏)

IMG_0323 支那事変一時下賜金注意書

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