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竹鬼

「オカリンピック2021」企画の投稿作品です。オカルトかは微妙っすw

 自分がもらいっ子だと知ったのは、李文が八つの年だった。学校へ行く途中の彼を見かけた村の老人連中が――おそらく敢えて彼にも聞こえるような声で――そのことについて話しているのを聞いたのである。

 隣村へと続く竹林の入り口は、風と雨に晒されてザーザーと音を立てている。山一つだんだら坂を上って下るだけの一本道ではあるから、12歳になった李文でも迷うことはなかった。嵐で月明りもないので李文は消えてしまわないように提灯を帆で覆うのだが、そのせいでひらついた帆から洩れる明かりは何とも頼りなく、太くなったり細くなったりして彼の足元を照らしていた。李文は転ばぬように気を配りつつ、ふと自分の出生を知った日のことを思い出していた。せめて本当の両親の名前だけでも知りたいと思う事もある、育ててくれた義母にいっそ訊こうかと思う事もある。しかし不慮に知ってしまった自分の出生の秘密をここまで育ててくれた義母に蒸し返す事への遠慮があった。と同時に村の老人達が、わざと李文に聞こえるようにして彼の反応をみて笑いものにしたことを思い出すと怒りをぶちまけたい気持ちもずっとあった、またあの日以来、李文はこの村になじめていないと感じていた。何をしていても誰といても疎外感を感じていた。それでいて納得できないにしても、せめて表面上は村の一員になれたらと思うのである。

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 そんなある日、――それは八月の初旬だった。2つ下の弟の李義が流行りの風邪をこじらせてしまった。李義は三日間高熱が続き、このままでは命の危険もあると義母は取り乱し、隣村の医者を呼びに行くことになった。が、村人は誰もが行くことをためらった。嵐がこの数日村にとどまり雨と風が激しい夜だったせいもある、が、隣村への竹林のだんだら坂にはいつしか「竹鬼」というもののけが住み着いていて、真夜中に急用で竹林を抜けようとするものが襲われるということが、これまでもたびたび起きていたのである。李文も「竹鬼」の姿は見たことはないが、夜中に竹林から何かが徘徊する音と獣とは違う鳴き声のようなものを聞いたことがあった。義母の悲壮な懇願にも関わらず、村の大人連中は明日まで待って使いを出そうと繰り返すばかり。ううん、ううん、――李義は苦しそうなうめき声をあげて、顔面がいよいよ蒼白になっていく、李文はそろりそろりと手を挙げて自分が医者を呼びに行くと宣言したのである。

 そう決まってしまえば村人は途端に協力的になって、心配そうな顔をしながら李文の外套と提灯を用意して竹林の入り口まで数人で見送りに来てくれた。李文はもうここで良いと言って、自分を鼓舞するために声をあげた。

「さあ、行こう!」

 ソロリと一歩踏み出すと、竹林の山道に入っていった。山はまるで彼を飲み込むかのように、一息に辺りはたちまち暗闇になった。左右から風にあおられた竹がザーザーと突き出すように音を立てている、雨もまるで李文を目指して落ち来るかのようにずんずん容赦なく降り注いでくる。顔に当たる冷たい雨と風、おぼろに照らされた足元のぬかるみ、――恐怖でそのまま座り込みたい気分になる。しかし李文は二三分恐怖に立ち竦んだあと、李義のため、自分のため、また一歩踏みだしていく。

「ここで引き返すわけには、いかないのじゃ」

 李文は2年前の学校での出来事を思い出していた。体育の授業で一輪車の習うことになった日の事、生徒数に対して、前の授業中にパンクした1台が間に合わずに足りなくなってしまった。李文は教師に1人の生徒と組まされて順番に一輪車に乗る様に指示されたのだが、突然その生徒が少し震えたかと思うと、急にこう云う怒鳴り声をあげた。

「不公平じゃ! 李文と同じ扱いを受けて一輪車を分けて使うのはワシだけ不公平じゃ!」

 それを聞いた教師は、何も言わず李文に目を合わせないまま、他の生徒と李文を組み直した。 その日の出来事を深く考えて見ようと思った事はない。唯その時の「不公平じゃ!」という言葉を、李文は頭の何処かで、これまでも何度か反芻していた。自分と同格に扱われることへの村の子供たちの震えるほどの怒り、――しかしそういった記憶さえも、この恐怖の中では気を紛らわすのにいくらか役には立ってはいた。

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 半刻ほど歩くと道は傾斜は緩くなりだんだんと下り坂になってきた、峠を越えたのである、一度視界がひらけまた目下に続く竹林を李文は肩で息をしながら眺めていた。すると竹林の奥の方で雨とも風の音とも違う、キツツキが木を突いている時のようなコツコツコツコツ ――当然ながら竹林にキツツキの住処はない。という甲高い音が聞こえてきた。それはしばらく続き、李文を竹林の奥に誘っているような気がした。「ここがいよいよ竹鬼の住処かもしれん」――彼はそう思いながら、ぐっと覚悟を決めた。

「お兄ちゃん、これ半分こしようよ?」

 縞のシャツを着た李義は、戸の外で俯いて蟻の行列を眺めていた李文に、饅頭を半分差し出した。 「それは李義が叔父さんからもらったものだから、、、」  李義は李文の言葉を押し切るようにして、もう一度饅頭の半分を力強く彼に差し出した。

「ワシ、一人じゃ食べきれん」

 そう言って、隣村にいった叔父さんが何の気なしに李義のみに渡してよこした――義母もその場にいたが、特に何もいわなかった。お土産を、つい数か月前に二人で食べたことを李文は思い出していた。「優しい弟だ」と李文は改めて思った。彼を死なせるわけにはいかない。

 そこから更に一刻ほど下り道を歩き続けたら、山道はもう一度緩い勾配になった。いつの間にか両側には蜜柑畑が広がっている気配が、雨に濡れた柑橘系の匂いが漂ってきた。 「どうにか勤めを果たせるんじゃないか」――李文はそんな事を考えながら、残りの力を振り絞って駆けだした。

 蜜柑畑を抜け切ると、急に人里に出て何軒か粗末な家が道なりに連なっているのが見えた。提灯の油もそろそろ尽きそうである。李文は一番近い家の戸を叩くと、住人が出てきたのと同時に、自分がここに来た理由をまくし立てた、医者は準備にしばらくかかると李文を家に招きいれて暖を取らせながら。――李文を目を細めて眺めながらこう言った。

「つい先日、産湯を使わせた子供が山一つ越えれるようになって、時間が経つのは早いもんじゃ」。「お前の村の産婆が大病をした時に、産婆のワシの妻としばらくお前の村に滞在したこともあったなあ」――李文は目を見開いて深呼吸をするとオズオズと医者に問うてみた。

「僕はあの村で生まれたの?」

「当り前じゃろ、お前さんが生まれた日も、やはり嵐が吹いていたなあ。お前の母と会うのもそれ以来じゃ、楽しみじゃの」

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 医者の家を出ると、雨はもう止んでいた。李文は油のたっぷり入った提灯の帆を取ると、辺りは随分と明るく照らされた。「自分はもらいっ子ではなかったのだ」。すべては幼い李文の勘違いだったのである。自分の出産に立ち会った産婆の旦那 ―――医者から、そうお墨付きを得たのである。

 村に帰ったら、これまでのことは忘れて村の一員としてよく働こう。家族のために尽くしていこう。と同時に李文の頭には、これまでの自分の村人に対する態度が、急に恥ずかしい事のように感じられた。

 李文は少しでも早く医者の到着を母や村のみんなに伝えようと先に帰ることにした。蜜柑畑を駆け抜けて竹林の道を走って行った。しかし李文はさっきまでのように、憂鬱な気持ちにはならなかった。「自分は村の一員である」――彼はもう一度そう口にしてみた。無事使いを果たし、村人達に医者の到着を伝えた時に、村での自分の新しい生活が始まるのだ。そんな気持ちになっていた。

 その時である、道の真ん中で何かに躓いて李文はすっころんだ、切り株かな。帰り道で足元確認を怠ったのかもしれない、高揚感に水を差されたような気がして、李文は憎らし気に切り株の方に目をやった。そこには行きの時には気がつかないのがおかしいほどの大きな切り株が道の往来に横たわっていた。切り株からは放射線状に竹が跳ね返るように何本も広がっていて、その一本に李文は躓いたのだ。 しばらくの後歩いていると、コツコツコツコツと、(竹林からではなく李文の後ろの方で)甲高い音がかすかに聞こえた。李文は努めて冷静に「お医者さんが後を追ってきたのだろう」と思った。が、すぐに振り返ろうとせず、気がつかないふりをしてしばらくは歩き続けた。コツコツコツコツという音は一定の間隔で李文の後ろから聞こえてくる。彼はその冷淡さを取り繕うように、提灯を持ち換えた。と、震えていた手が滑り提灯を落としてしまい、油を道にばら撒いて提灯の明かりは消えてしまった。

 するとその暗闇が合図かのように周りの竹林が一斉にザワザワと音を立てた。李文は悲鳴をあげて駈け出そうとするとまた躓いた。彼の右足に竹の枝が絡みついていたである。

 振り返るとそこにはまた先ほどと同じ切り株があった。 目を凝らすと切り株には火がついたような大きな二つの目玉があった。穴ぼっこのような口もあった。そこからコツコツコツコツという音を発していた。放射線上に伸びていた竹はすでに絡みついた一つの枝になってウネウネと地を這いつつ李文の方に向かってきた。

 無事に村に帰り着けると思っていた。両側の竹林も覆いかぶさるように彼に迫ってくるようだ。「もう終わりだ」――彼はそう考えて、ぼんやりと気を失った。とにかくやれることはやったのだ。母は悲しむかもしれないが李義がいる。自分は村の一員として死ねるのだ。

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 目を覚ますと、李文は無造作に家の床に布団をかけられて転がっていた。

「おっ、目が覚めたけ?よくやったな。ご苦労様」

 李文は一瞬呆気にとられた。後から追いかけてきた医者と助手が山道の真ん中で倒れている李文を見つけて、おぶって村まで運んだ事、李文はずっとうなされていた事、それから李義は無事熱もひいて回復にむかっている事、――そう云う事を一気に村人から聞いたのである。李文は泣きそうになった。が、泣くのはみっともないと思った。彼は早速李義を見舞うと、母が止めるのも聞かずに家の外に飛び出した。

 李文はしばらく無我夢中に村中を走り続けた。その内に大声で歌でも歌いたくなった、もののけを恐れて村から出ようとしなかった連中に、自分はやり遂げたぞ。と触れ回りたい気持ちになった。ふいに昨日躓いたさいにひねった足首に鈍痛を感じたが、それすらも勲章のような気がした。彼は村の小高くなった丘を登った。すると診察を終えて隣村に帰ろうとする医者と助手の姿が見えた――とにかくお礼を言わなければならない。

 丘を駆け下ると、彼らはちょうど竹林の入り口で見送りにきた村人と話し込んでいた。

「もう調子はいいのかい?」

 医者は李文に笑いかけて、ふと視線を後ろに向けて、また彼をしげしげと見つめてきた。李文が不安な気配を感じて振り返ると、そこには自分だけが一輪車を李文と分けて使うのは不公平だと叫んだ村の子供が立っていた。

 あたりは暗くなる一方だった。「今日中には村に着けそうじゃの」――医者はそうつぶやいて、李文と村の子をもう一度しげしげと眺めると、

「年頃の子供はみな同じにみえるわい、妻が取り上げたのはこっちの子じゃった。大きくなったな」と言って帰っていった。

竹林が風に揺られてサーサーと音を立てる。

コツコツコツコツと、李文に向かって山の奥から誰かが笑ったような気がした。

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