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信じていいのは幸せではなく、その余韻。

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幸せには二種類ある。
一つは、他人に語れる幸せ。そしてもう一つは、他人に語れない、もしくは語りたくない幸せである。しかし、両者には共通点がある。それは、自分の心の中で何度も再現が可能なことである。

けれども、幸せという言葉に意味はない。なぜなら、幸せの背景にあるストーリーが複雑であればあるほど人の心は潤い、幸せという単語一つでそう簡単に人は涙することもなければ、愛する人を想い濡れることもないからだ。

幸せに勝るもの、それは「余韻」である。消えても響くものに心を動かされ、行動という逆位相の響きを自ら生み出し、人は生きる喜びを“この世で”感じるのである。

ある人は薄っぺらい金箔のようなキラキラした世界を追い求め、ある人は不安に駆り立てられて、さらにハイリスクな世界に生きる人に追いすがる。

不幸の原因は99%自滅である。アーティストが才能の前借りとしてクスリに手を出すように、強迫観念から生まれた虚像に追われて逃げ切った者は一人も存在しない。

ささやかな人生を“語る”ことこそ、喜びと安心、そして潤いをもたらすことにいまこそ気付こうではないか。ただ生きるのではない、語るのだ。

若い頃の言語機能レベルが高かった修道女ほど、アルツハイマー型認知症を発症する人が少なかったという研究結果が実際に報告されている。

健康とか長生きは、物理空間における人生のパーツに過ぎないのかもしれない。体と同時に心を授けられた我々は、意識を向けた先にまで飛べる技術を身につけることができたのだ。

想像の限界が現実の限界であり、創造の限界もまた宇宙の限界である。人間は宇宙のcreature(創造物)であるのだが、我々は時空を飛び超えられる脳と心を持っている。

自信がないとか言ってる場合じゃないよね。行きたい世界は、行ける世界。だから、覗いてみな。意外と大したことないから。

Live your life !

(写真は沖縄県那覇市で撮影したもの)

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