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引っ越す人,見送る人

#五賢帝教育研究所  第一回テーマ記事「引っ越し」に寄せて
(大遅刻です。すみません・・・)

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引っ越しとは縁のない人生だと思っていた。

東京都23区の端っこに生まれ,父は教員で転勤はなし。小中は公立,高校は都立,大学も都内の国立に通ったので実家を出る必要がなかった。

26歳まで生まれ育ったわが町は適度に田舎,適度に都会で非常に住みやすかった。困ったことといえば,最寄駅からやや遠いので酔っぱらって終電で帰ると駅から家まで歩くのが少し億劫だったくらいである。引っ越したいと思ったことはなかったし,自分が引っ越すという想像さえも,高校生くらいまでは全くなかったのではないかと思う。


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それでも,結果的に,私はこれまでに3度の引っ越しを経験した。1度目は実家から出て一人暮らしをするため,2度目は現在の仕事が決まって札幌に拠点を移すため,3度目は妻との同居をスタートするため。

自分の引っ越し経験を思い出して真っ先に思い浮かぶのは引っ越しに付随する諸々のこと(一人暮らし,転職,同居など)である。ここで「引っ越し」あるいは「引っ越す」という営み自体の意味を改めて考えてみると,少し変化球かもしれないが,私は所属していたコミュニティを脱することこそが引っ越しの本質だと思うのである。


会えなくなるのは寂しい

コミュニティを脱するとはつまり,いままで気軽に会えた人に会えなくなるということだ。「脱する」と書いたが,引っ越した途端に友人たちと連絡を取らなくなるわけでは当然ないので,直接会えなくなるくらいの意味で捉えていただきたい。私の場合は2度目の引っ越し (東京→札幌) がこれに当たる。

自分で言うのもなんだが私は友達が多いほうだ。友達の多さの指標は結婚式に呼ばれる回数だと思っている。これまでに参列した式を思い返すと小中時代の友人,高校の部活仲間,学生時代の悪友,草野球のチームメイト,キャンプ仲間…と枚挙に暇がない。友達が多いだけではなく,所属しているコミュニティが多いのである。

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日常的にLINEで雑談をしたり,いまでこそオンライン飲み会をすることもあるが,コミュニケーションの基本はやはり直接会って話すことだ。そこに酒があればなおよい。引っ越すということは,それが頻繁にできなくなるということだ。

引っ越した側の人間が寂しく感じるのは,自分が脱したコミュニティがそれまでと変わらずに動き続けているのを目の当たりにするときだろう。草野球チームは(コロナの影響を受けながらも)活動を続けているし,学生時代の友人たちも多くは東京にいるから会おうと思えばすぐに会える。それを遠くから見ていると「いいなぁ~」と思うのである。


飲めなくなるのも寂しい

会えなくて寂しいのは人だけではない。酒場もである。引っ越すということは,当然行きなじみの店にも気軽に行けなくなるわけである。

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私の場合は行きつけの酒場,ラーメン屋,町中華に行けないのが引っ越し当初かなり辛かった。もちろん転居先で新しい行きつけを見つけるのだが,それでも郷愁の思いは募るばかりである。

私のケースのように地方をまたいだ引っ越しの場合はチェーン店の様子も違ったりする。東京時代安価に飲める酒場として私がこよなく愛した日高屋,富士そば,福しんはどれも関東地方にしかチェーン展開しておらず,大変歯がゆい思いをしている。

かといって東京に出張した際にこれらの店を率先して選ぶかというとそうでもないので,生活に根差した飲み屋という位置づけだったんだなと振り返っている。

どんどん話が脱線するが,札幌にはつけ麺屋がほとんどない。いや,つけ麵屋を称する店はあって普通に美味しいし,普通のラーメン屋でも味噌つけ麺を提供している店は多いのだが,魚介とんこつ系のいわゆる東京つけ麺・つけそば(六厘舎系・大勝軒系)を出す店がほとんどない。先日やっと一軒「これは!!」と思う店を見つけたので通い詰めたいと思っている。意外にも自宅の近くにあり灯台下暗しである。ちなみに家系,二郎系,油そばはそこそこ多いので開拓のしがいがあって楽しい。


引っ越す友人を見送る

最後に,学生時代の友人の引っ越しを見送った時の話で締めくくりたいと思う。

学生だった最後の1年間本当に常に一緒にいた仲間の1人が,就職を機に地元に帰ることになった。それは別に突然でもなんでもなく,みんなわかっていたことだった。なぜなら彼はとてもアツい男で,地元に戻って仕事をすることに強い情熱を持っていることをみんな知っていたからである。

後期の授業が終わり,学位審査もクリアし,みんなで論文発表会もやった。卒業旅行も行った。朝から晩まで山手線を乗り回して駅そばを食いまくる企画もやった。それ以外の普通の日は鳥貴族で生大を流し込みながらこれまでのこと,これからのことについて語り合っていた。

卒業式を終え,彼が旅立つ日が来た。それは我々にとって学生という期間が終わり,来るべき4月1日に向けて気持ちを入れ替える時が来たことを意味していた。

それでも僕らは,最後まで学生でありたかったんだと思う。

昼過ぎに彼の家に行って退去手続きに立ち合い,最後に残っていたカラーボックスを私の自転車の後ろに載せてブレーキ一杯握りしめて大学のゼミ室まで運んだ。

彼が旅立つまで2時間半。そこで我々が最後に取った行動は・・・

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当然「飲む」である。

その足で中華屋に直行して最後の時を過ごした。正直,何を話したかは全く覚えていない。ただ,最後に一緒に酒を酌み交わすということだけが当時の自分たちにとって意味のある営みだったように思う。

時間になり駅に向かう。彼は券売機で一番端の一番高い切符かどうかはわからないが長距離切符を買う。あと5分。私はNEW DAYSに走って缶ビールを買う。

最後はホームで乾杯し,彼は一瞬で350mlを飲み干して電車に乗って去っていった。

「行っちゃったね」

声に出したかどうかは覚えていないが,ホームに残された我々の間にはそんな空気が流れていた。


人との間に生きるのが人間

月並みな言葉だが,ことあるごとに強くそう思う。結局は誰かと一緒にワイワイやってるのが楽しいし,自分を耕すことにつながるのである。

だからこそ,引っ越しによって人が動き,「これまで通り」の付き合いができなくなることに不安を感じる時もある。

もちろん引っ越した先で新たな人と出会い新しいコミュニティを形成していくに違いないのだが,それでも居心地のよかったあの頃に戻りたいなと思うことも,時にはあるのである。

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