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ゴミシンガーの生まれ(1)

染み付いた恥

僕の最大の敵は「継続」です。僕は本当に、継続ができない。仕事や制作、この記事を書くことも。集中力というものの、基礎がひび割れ、角は欠け、柱は崩れている。小中高、学生として日本社会にいた期間で宿題というものを出した回数を、数えることができる。
・・・いや、これはもちろん例えではありますが、僕は両手の指を何度か折り曲げる程の宿題しか提出してきませんでした。なぜなら、継続ができないからです。
宿題をしなければとバッグを開き、ノートと筆記用具を出す。ペンを握る。ここで終了です。
2回ほど瞬きをした後に僕はゲームをするための動きに移っています。もう病気ですね。病気なんだと思います。ゲームは朝までできるんですけどね。それで、何度も何度も怒られ、どんどん学校が嫌いになりました。
「なんでできないんだろう」
周りの大人はみんな言っていましたが、当時の僕はそんなこと思っていません。気が乗らないからしないんです。ほかにしたいことがあるからしないんです。
でも、そんなのうまくいきませんよね。当然です。おばあちゃんと母親が裏でコソコソと言っていた事を今でもずっと覚えています。「あの子は、施設に入れたほうがいいのかな」
大人になった今この発言を考えると、わざと聞こえるように言ったんだとわかります。当時は普通にビビりました。そりゃ、ビビります。とってもとっても。
みんななら、この言葉を聞いた後、どうしますか?「やらなきゃ」って、思いますか。
「頑張らなきゃ」って、行動しますか。
僕はね、こう思ったんです。
「なんてひどい親なんだ」

初めてのバイトは、某ファストフードのお店でした。
高校の先輩や、話の面白いおばちゃんが優しく教えてくれて楽しいバイトでした。でも合わなかった人が1人いました。新しく来たマネージャーです。
年末のことです。「お正月は、あまりシフトに入れません、すみません。」細かいところまでは思えていませんが、そんな話をしにいきました。
でもマネージャーは、どうしても入ってほしかったようです。長い時間話して、3日からシフトに入ることになりました。
ところがどっこい、シフトが出ると僕は2日からシフトに入ることになっていました。
僕はマネージャーのところへ行き、出れないと伝えたはずですよと言いました。それでもどうしてもマネージャーは出て欲しいみたいです。
僕は言いました「変えていただけないのであれば、辞めます」
もちろん認められませんでしたが、シフトも変更してもらえなかったので、結果そのままフェードアウトです。バックれました。「今日が最後です」と言い、その後は制服を返しに行っただけです。今思えば、あんな辞め方しなければ友達とそこで待ち合わせができましたし、甘酸っぱい恋の物語があったかもしれません。今では、もうお店もないです。

中学生の時の、ずっと好きだった人との話です。小学校からその子のことが好きでした。中学校になってクラスが離れると、とても胸が苦しくなりました。不思議ですね、青春ですね。勇気を出してメールアドレスを聞き、毎日PCを開き、10秒経つ度に受信ボックスの更新をしました。一緒に帰る約束をし、勇気を振り絞って告白・・・付き合いはじめ・・・
た、はずだったんだが!1週間経てばメールが返ってこなくなり、学校で会っても目も合わせてくれない。地面におでこを擦りながらお願いして、やっと電話で話す約束をしました。電話口で彼女は「付き合ってなどいない、夢でも見ていたんじゃないか」と言いました。言葉が出てきませんでした。表示されているメールの文章を何度も見ました。
「私、今ひどいこと言ったよね、ごめん。」もう遅かったんです。
僕はその瞬間から自分の記憶から、PCに残るデータまで、すべてを疑わなければいけなくなりました。本当に存在しているのかと。
ドッと脳を使った僕は疲れ、電話を切り、その日は寝ました。

深夜によく遊ぶ友達がいました。夜中に家を出て、その子の家に忍び込んで朝まで話し、学校へ行きます。昨晩の件について相談をしに行きました。
「これ、見るか?」と友達が見せてくれたのは例の女の子とのメールでした。次々と出る僕の悪口。今思えば友達も畜生ですね。僕は怒りのままにメールをし、それを学校に報告され、初めての反省文を書きました。

僕は度々、どこで間違えたんだろうと考えます。何かある度、憂鬱な暗闇が来る度、誰かのせいのする為に。

(続きます。)

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