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古傷

数年前に前世占いなるものを受けたことがある。
今もそこは占いをやっているんだろうか。ふと昔の自分のツイートを振り返って思った。

私自身、タロットやら軽い星読みやらやるが、あまりスピリチュアル系は信用していない。発言自体はスピスピしてるだろうが、実はそういうのが苦手だったりする。
なんだろうな、その人の実態が伴っていないというか、そのくせに人の言葉を借りてるような…そんな感じがして苦手だ。

さてどんなもんかな…と思って、見てもらった。その結果を簡単に書いてみたいなって思う。当時はほぅ…って程度だったけど、今思えばあらま~ってところがあったので。

その占い師さん曰く、今、生きている理由は前世でやり残したことをやるためらしい。いったい私が大昔にやり残したことは何なんだろうか。


Ⅰ.愛する人が長く共にできなかった孤高な戦士

一番最初の私は孤高な戦士だったらしい。男性。フランス人。

なぜ孤高なのかと言うと、せっかく妻も子どもも恵まれたけれど、自分がすぐに死んでしまったらしい。

聞いてて確かにさぞ悔しいだろうなと思った。必ず帰ると言っただろうに、その約束は違えてしまったと。死にたくないからと言って逃げるわけにはいかない、だって自分は戦士なのだから。
きっとそれなりに愛を伝えただろうとも思う。

家族と長く過ごせなかったことを強く悔やんでいた。結婚しなければよかったとすら思ったのかもしれない。
そのときに一つできた後悔が「家族と長く過ごせなかったこと」。それがつらかったから結婚したからこんな傷つくんだと思った。それ故に、結婚したから自分は不幸になってしまったと思ったのだそうだ。


Ⅱ.自由を失った和服の女性

次は着物を着た女性。お着物の形状的に日本人。

彼女は親に結婚相手を決められてしまい、自由を失ってしまった。
昔の日本(今もあるのか?)によくある状態だろうか。嫁に入って嫁いだ先に尽くせ…みたいな。モノノ怪ののっぺらぼうのお話みたいな。
自分の意思などなく、ただただ日々をこなすだけ。

1回目の人生と違い、結婚はできたけれど、親の言いなりにならなければよかった…という後悔が残ったそうだ。
もしかして、好きな人とかやりたいことがあったのかなあ…。


Ⅲ.染め物のお仕事をただこなす女性

次は中国あたりの染め物のお仕事をしている女性。

彼女は疲れていたのかもしれない。多くを望まなかった。平凡にただ目の前の仕事をこなすだけ。

わがままを言えば幸せになれないと思っていた。
以前の人生で多くを求めるから後悔をするってのを学んだのかもしれないね。

そう思ってるってことは、たぶん多くを望んでいた。けど、それが叶う未来が見えなかったのだろう。彼女は何をしたかったんだろう。


Ⅳ.楽団で笛を奏でるただそれだけの女性

次はスイスあたりの静かな街で楽団に所属している女性。笛のような楽器をやっていた。

彼女はひたすら自分の住む街に居続けた。
出ようと思えば出られた。外の世界に出たくても怖かったのだ。

やりたいことも試したいこともたくさんあったのだと思う。多くを求めるのがやっぱり怖かったのだと思う。
失敗したらどうしよう、うまくいかなかったらどうしよう…そうやって結局自分の枠の中にこもった。


そして、今に至る

今の私はサラリーマンで、ただのらりくらりとぷらぷらとしている。
もし仮に今の私に後悔があるとすれば、伝えるべき人にちゃんと伝えなかったことだ。
だから、これだけは今の私がしっかりと解消したいと思っている。

当時、話を聞いて、わからなくはない…と思った。

今、生きている時代のおかげでもあるけれど、選択の余地はたくさんあるし、いくらでも挑戦したり、やるだけやってみたりってことはできる。
それに私がやりたいことはそこまでだいそれたことではない。一人でやろうと思えばできることも多々ある。ただちょっとだけだいそれてるやつは仲間選びにハードルがあるだけだ。

「女性が家に入る」に違和感を覚えているのは確実にⅡの影響はあるだろうし、結婚に前向きになれないのはⅠの影響があるだろう。
まあ…本当かどうかわからないけれどね。

なんだかんだ刺さるのは「喪失」だ。TRPGをやっていても、小説や映画を見ていても、何かを失う姿に心を動かされる。TRPGで自分が失う側だったらなおさらだ。
失うのは記憶かもしれない、関係かもしれない、声や視力、いろんなものを失う可能性がある。形があって代用できればまだましだ。けど、代用できないものもたくさんある。

「別に?離れていくなら離れていけば?」って態度をとるし、内心自分の心に保険をかけるから離れていかれてもダメージがないようにしていた。今も多少はそのっ気はあると思う。
自分の内側を晒すのは自殺行為にも近いし、いつ寝首かかれてもおかしくないなって思っている。だから、私は刺されてもいい、殺されてもいいと思えないと内側は晒せない。
(いつかこの殺されてもいいの概念の話したいな)

以前は深く自分の中にその人達を刻み込んでいた。私が愛するのはその刻み込まれた虚像だと思い込む。そうすれば、実際に何か傷つけられたとしても、私に見えるのは虚像だ。虚像が見えるわけだ。
実際、過去の私はそれで痛い目を見たわけだが。やっぱりまともな精神じゃなかったと思う。あの頃は。

その結果、いろいろ反省して、「今、私が観測できるものを信じる」に至った。私が伝えて返ってきたもの、空気、それらを信じる。観測するためには、形が変わってしまうとしても、何かしらの行動を起こさなきゃいけない。それなりの覚悟を要する、私にとっては。
ある種、今の私は結構な挑戦をしてるんだろうなって思う。せめて一人目の私の後悔を癒せたらいいな。

失うのを怖いと、変化が怖いと思っていいのだと思う、それが今の私なのだから。確かにいつかは失うのかもしれないけれど、それは全てが無に返るわけじゃない。確かに自分に何かしらの影響があって、変化があって、巡り巡って何かしらの形で残り続ける。

傷つくのが怖いとは言うけれど、あんなに傷ついたのだからたぶん塞がるんだと思う。きれいな肌になるのだと思う。
だから、何度でも転んで、痛いなって涙にじませて、人間臭く生きたいなって思ってます。


願わくば、どの私もよく眠れていますことを。
May the wind be ever at your back

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