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刺されてもいいと思えるほど

人に刺されたことないけど、そんなことを思ったことがある。
この人なら嘘をつかれても、傷つけられても、刺されても、殺されてもいいと。

嘘をつかれたり、暴言やら暴力やらで傷つけられたことはあっても、刺されたり、ましてや生きてるのだから殺されたことはない。
逆も然り、私は嘘をついたり、いつのまにかもしくは故意的に誰かを傷つけたりする。
よくないのかもしれないけど、私なりに理由はあるし、必要な嘘や傷つけ合いもあったりする。良いか悪いかは時と場合によるし、言い方や関係性にもよる。良し悪しは簡単には決められない。

話はそれたけど、私は相当な臆病者だ。
だから、簡単には人を信用・信頼しないし、仲良い風に見せるだけ見せていつでも切り捨てられるように情が移らないように意識している。
大体は情が移る前に会わなくなったりするんだけどね。私もそんな自分から連絡しないから、あんなやついたな…くらいの感覚になる。

そんな中でも一部、私が大事にしたいと思う人たちがいて、その人たちは例外扱いになる。
何かをきっかけにして私は内側に招き入れる。もちろんいつ出て行ってもいい。そして、帰ってこなくてもいい。ただその門は開かれる。

嘘をついたり、攻撃するのにも理由があって、ただなんとなく…なんてことはあり得ない。
それだけのことをする必要があったのだ。その事実に怒ったりすることはない。私が気づいたとしても、本人が言うまでは気づかないふりをする。

嘘はつくなら墓場まで持っていけと私は思うから、私だったら徹底的につき続けることを選ぶ。嘘は突き通すことで真実に曲がってくれる。
嘘をつくだけの理由も、嘘を告白しようとした理由も、ただ事実を受け止めるだけだ。
それを受けてどう思ったかは話した方がいいと思うけどね。ただし、感情的にならず、話してくれたことに感謝をすること。

早々、人と喧嘩をすることはないけれど、大事になればなるほど傷つくのも傷つけられるのも怖くなるし、傷つける可能性も傷つけられる可能性も高くなる。
意図して傷つけるわけではないけれど、傷つけても、傷つけられても共にありたいと思えること。絆創膏を貼ってごめんねと言い合えること。それらが覚悟できているかどうかなのだろう。


私の隣に貴方がありますように
May the wind be ever at your back

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