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わたしたちの「よき祖先」|文子さん(1951年生まれ)



誰っていうと難しいけど...
具体的な「誰か」じゃないと、いけないの?


そんなことないよ。
誰かでなくても、全然いいの。
   
"よき祖先"
この言葉に触れて
思うことでも、感じることでも。


そうね。
今、ふと思い出したのは、オオイのおばさんのことかな。


オオイの、おばさん...


大井町(東京品川)に住んでた、私の祖母の妹にあたる人。

何かにつまずくとね、いつも思うのよね。
「こういう時、大井のおばさんはなんて言うだろう」って。


うん。


5歳の時、おばさんの家に泊まりに行って。
その時のことが忘れられなくてね。
鮮明に記憶が残ってる。


そうなんだ。


幼い私にいろんなことを教えてくれたのね。
大事なこと。

私がおばさんの家の子どもたちに混ざって、住み込みの女の子のことを "ねえやちゃん"って呼んでたらね、おばさんが言うの。

「文子ちゃん、ちょっといらっしゃい。
 あなたは彼女のこと、ちゃんと「名前」でお呼びなさい。」って。


"ねえやちゃん" は、ダメなの?


昔、若いお手伝いさんのことをそう呼んだのよ。
年配のお手伝いさんを "ばあやさん" っていうのと同じよね。


あ、そういうことか。


幼い私は、そういうことも知らずに呼んでいたわけだけど。

その家の人ではない私には、彼女の立場は関係ないでしょう。
だから「ちゃんと名前でお呼びなさい」と。

当時の私に、それが理解できたのよ。
5歳の子どもにわかるように、大井のおばさんは一つ一つ教えてくれたのね。


ちょっと泊まりに来た子にね。
すごいね、大井のおばさん。


そう、なかなかできない。

帰り際には

「おじさんの部屋へいって、きちんと畳に手をついてご挨拶してらっしゃい。」

って。
普段、そんなご挨拶なんてしないんだけど、言われた通りにやったらね。

「おぉ 帰るか。そうか。
 文子ちゃん、またいつでもいらっしゃい。」

って、おじさん私の頭を撫でて、どっぷりした声でそう言うの。


うれしいね。


嬉しかった。

ほんの3日ばかりの間にいろんなこと教えてもらったけど、叱られる感覚は全くなかったのよね。


こんなにも鮮明に、記憶に残って。


そうね、なぜか本当によく覚えてる。
その後、大井のおばさんと交流する機会はほとんど無かったんだけど、人生を通じて、いつも指針を求めてきたな。

今も、会いたいし、おばさんの言葉を、聞きたい。


うん。


今の私に、なにを言うかな。

あの時、何が嬉しかったって、ひとりの人として「尊重してもらってる」っていう、そんな感覚、だったのかしらね。

こんなにもよく覚えてるのは
「尊重されて 愛されてる」って。

そんな体験、ゆえなのかな。


存在が、まるごと、ね。


そうね。
きっと、そうなのね。



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大井のおばさんは、女中として預かっていた少女を立派な女性に育てることが自分の「しごと」の一つと思っていたと、随分あとになってから聞いたそうだ。

おばさんは少女のことを尊重されるべき存在として、人生を通して縁の中にみつづけていたんだろう。それはそのまま、そこに関わるすべてを尊重する、ということでもあったんだろう。

大井のおばさんの眼差しが露となってこの世を巡っているならば、この秋雨を浴びて、染みていたい。

(2021年10月)

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