仕事をやめたときの話
仕事をやめた。
私にしては長く続いたほうだったが、いつも通り円満退社とはいかなかった。
一度くらい笑顔で見送られるやめ方をしたい。
寄せ書きとかほしい。
そんなわけで睨まれながら仕事をやめた日、ヤケになって、ケーキなんか買って帰って、家にあった瓶の梅酒(貰い物のちょっといいやつ)をラッパ飲みして、そのままストッキングも脱がずに倒れ込んで床で寝て、気付いたら朝。
それが今。
着ていたスーツはしわだらけ。
コンタクトレンズを付けたままだった目は乾いてしぱしぱ。
化粧もしたままで顔はどろどろ。
おまけに頬にはフローリングの線がくっきり入っていた。
寝ている間に無理やり脱ごうとしたらしいストッキングは伝線してしまっている。
結局食べなかったケーキは箱に入ったままテーブルの上に乗っていた。
せめて冷蔵庫に、と立ち上がった場所が妙に冷たい。
よく見ると床が濡れてる。
べたべたするし、甘い匂い……梅酒か。
「ああーーーー、もう!!!!」
思わず叫んでいた。
叫んで、またスーツのまま床に倒れ込んだ。
頭に浮かんだのは「死にたい」だった。
本気で死にたいわけじゃないけど、頻繁に思い浮かぶ「死にたい」。
その中でもわりと悲惨な感じの「死にたい」。
床に転がったままスーツを脱いで投げ飛ばした。
ちなみに、梅酒がこぼれてない方向に飛ばす余裕がまだあったのでそうした。
スーツを投げたら少し落ち着いた。
今まで理解できなかった「物に当たる気持ち」を知った。
知りたくなかった。
しばらくそのままフローリングに頬をつけていた。
また跡ついちゃうかな。
まあいいか。
冷たくて、そこでようやく自分の顔が熱を持っていることに気付いた。
まだアルコールが抜けてないのかな。
わりとすぐ床がぬるくなってきて、反対の頬にしようと顔だけ向きを変えると、本棚が視界に入ってきた。
就職活動のときに使っていた実用書や、入社してから買ったビジネス書が並んでいる。
それを見ても何も感じなかった。
悲しいとか、悔しいとか、思わなかった。
顔がいい感じに冷えたので、起き上がってテーブルの席についた。
ケーキの箱を開けると、綺麗な状態のケーキが6つ並んでいた。
我ながら買いすぎだろう。
中から苺のショートケーキを取り出して、フォークでひとくち口に入れる。
やっぱり少しぬるい。
あと苺が甘くない。少し酸っぱい。
黙ってそれを食べ終えると、鼻がつんと痛くなった。
苺のせいかと思ったが、すぐに違うとわかった。
何故か涙が出ていた。
悲しくも、悔しくもないのに。
どうして泣いているのか自分でもわからなかった。
部屋には誰もいないけど、なんとなく声を押し殺して泣いた。
拭っても拭っても止まない。
わけがわからなくて洗面台に駆け込んだ。
お湯を流して顔にかけると、いよいよ止まらなくなって、気付いたら声に出して泣いていた。
どれくらいそうしていたんだろう。
やっと涙がおさまって、濡れた顔にタオルを押し当てる。
こんな泣き方するなんて子供みたいだな、と未だ止まない嗚咽をこらえながら思った。
残りのケーキを冷蔵庫にしまって、スーツをハンガーに掛けて、床を拭きあげて、シャワーを浴びて、服を着て、髪を乾かした。
ひと段落したとき思い浮かんだのは、やっぱり「死にたい」だった。