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無とやり甲斐を天秤にかける

2021年が終わろうとしている。しかし書類ではもう2022年と入力することが多いので、「あれ、まだ2021年やっけ?」と錯覚することが多い。

新しい年が始まるようですが、新しい出会いはもう求めていない。なんなら、これからは関わる人の人数を最小限にしたいとさえ思っている。

こないだ会社の忘年会があった。「来年も引き続き頼むで。」と言われた。来年のことを考えたらなんかもう既にうんざりした。

トラブルなく、来年も無事淡々と終えますようにと、それだけを願っています。

私は元々仕事にやり甲斐を求めたことが無く、死にたくなる程嫌じゃなければ良しとしていた。毎朝吐きながら泣きながら行かなければならない程じゃなければ、自分に合った仕事だと思うようにしている。

仕事はそういうものだと思っていたし、今もまあそう思っている。

「人生のうち働いてる時間の方が長いんやから、仕事も楽しめるよう工夫しよう!」みたいなこと言う人はめっちゃ苦手です。

仕事は面倒なことを終わらせていくこと意外、意味を持たそうと思ったことがない。

だけども定年まで向こう30年、そのスタンスで果たして完走できるのか。苦手だと思っていた意識高い系の考えの方が、この先の労働人生には必要なんじゃないかと思えてきた。

「自分のルールに縛られているとハッピーになれない。」とどこかで誰かが言っていた。

もっとやり甲斐のある仕事をしたい。というわけではなく、給料は高くなくてもいいから、ストレスの少ない仕事がしたい。

今も給料は高く無いけれど、融通のきく環境で人間関係も特段不満はない。それでもストレスを感じるのは贅沢なことだろうか。

・このご時世、仕事があるだけマシ
・人間関係に悩んでないだけマシ
・休みが週2日あるだけマシ
・融通がきく環境なだけマシ

マシを数えたら幸運に思えるし恵まれてると思う。ありがとうございます。
些細な幸せに目を向けて現状を続けるのもいいと思う反面、「マシ」を数えるということは、無理矢理そう思い込まそうとしている対局の不満があるはず。今は気付かないふりをしてスルーし続けているその不満を解消するべきなのか。

・うちは経済力があるからマシ
・言ったら家事してくれるからマシ
・家事や育児はしてくれないけど、子供は可愛がってくれるからマシ
・文句や小言が多いけど、ギャンブルせず真っ直ぐ帰ってきてくれるだけマシ

と言っている人をインスタなどでよく見る。いや、それ不満ありまくりやん。と思ってしまう。すみません。笑

納得させて現状維持を続けている。私にとって仕事はきっとそんな感覚と似ている。

それが正解なのか否かはわからない。考えることも面倒で、先延ばし癖がついている30代女性。もう何年も答えが出ない🥱

新しい年を迎えようとしているとは思えないほど悶々としたnoteを書いていますが、私は元気です。食欲もあります。今年は痩せたいです。

せっかくの正月休みなので、しばらくはお酒飲んで「ウェーイ」とか言って過ごそうと思います。

ほらまた先延ばし。

ウェーイ

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