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真実の目覚め

テレビで報道している芸能界の出来事等を指して、闇に目を向け真実に目覚めろ、と言うのならテレビを見るのをやめた方がよっぽど真実の目覚めに近くなるのではないかと私は思う。

芸能人や、芸能界に過剰な力を与えてしまっているのは私たち自身だからだ。それが闇を生むことにつながっていると私は思うのだ。

いわゆる芸能人でなんとなく自然に売れていった人なんてあまりいないだろう。

たとえ最初がそうであったとしても、マスになるためには、事務所の力があって、事務所が小さいのなら、どこか大きな場所との利益分配があったりして、芸能人は大きくなっていく。

そしてテレビと言う機会を与えられ、お金をかけられ、何度も何度も繰り返し見せられた顔や声やメロディーに私たちは共感と愛着を覚え、いつの間にか彼らに力を与えてしまう。

エンターテイメントを楽しむことが悪いと言ってるわけじゃない。私だって歌い手の端くれだ。それに有名になれる人たちはやっぱりとんでもなく突出して優れたものを持っている事は間違いない。

ただ自分の物のはずの人生の中心に、テレビで起きていることを据えて生きてきてしまってるような人たちが多すぎる気がするのだ。 

私のタイムラインでさえ多少そのようなことが起きているのだから、もっと広げたらきっともっとそうなんだろう。

そういう私は一体どこを見て生きているのか?

インターネットはテレビよりも少し選択肢が多い気はするが、どのようにそれを利用するかで私もすぐに眠りの中だ。

だからといってインターネットの中から集団催眠から起きろ、目覚めろ、と言う人たちは今度は、仮想敵との戦いをすすめ、ある人の中にあった権威への怒りを顕在化し表現することを解放しただけで、真の目覚めへと導いているようには見えない。

それはそれまで抑圧していたエネルギーを解放すると言う意味においては、多少進化に貢献してないとは言えないのではあるが。

それではそう言う私は人々を真の目覚めに導いているのか?

そうありたいと真摯に願いながら、私は私の中にある闇の存在に気づいている。

そして自己弁護や自画自賛に聞こえるかもしれないが、新しい時代のスピリチュアルティーチャーたちは、闇は自分の中にこそあるということに気づいていなければならないと私は思う。

私は自分より深く眠っている人が目覚めることをお手伝いすることはできるが、それでも継続して自らの闇を変容していくと言う本当の仕事を持っている。

現実社会と言う幻の中で、経済活動をしたり、雇用関係を持ったり、と言ういわゆる生活を営みながら、その変容を安定して継続させていくには、謙虚さと相変わらずの練習がいる。

私は自己受容と称した、パーソナリティーというエゴに耽溺した精神状態を野放しにし、愛と言う我を忘れる。

とにもかくにも目覚めるのはいつも私なのだ。そして目覚めるのはいつも「私であること」からなのだ。

そうして目を開けてみれば、フローリングの床に寝転がってスマホを眺めている 1人の女だけが残る。





「目覚めよ、愛に生きるために」



初著書「あなたがここにいることの意味」


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