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夏の空港で、読書する

8月5日、成田空港の国際線出発ターミナルで、おおきな飛行機たちを眺めている。目を凝らすと、奥の方で陽炎がゆらめいている。

空港が好き、という人は多い気がしていて、私もそのうちの1人だ。
空港に行くのは、自分がどこかに行くのではなくて、誰かの迎えだったりすることもある。

空港に来ると、毎度なぜか切なくなる。それと同時にワクワクもする。無力な気持ちと無敵な気持ちが拮抗する。

出掛けに、世界遺産特集が組まれた雑誌を見てきたからか、出発地がかかれた大きな電光掲示板を見上げたり、スーツケースをいくつもカートに乗せた外国人をみたりするとぶわっと心が解放される。

雑誌で見たカンボジアのコーケー遺跡、ナミビアのナミブ砂漠、ベリーズのブルーホール、、、

隠れる場所はたくさんあるなぁと思う。
でも狭い世界で生きているとその事実を往々にして忘れてしまう。

私にとって異国は、実際に行ってみたい、よりも、存在しているだけでありがたい、だ。

想像を巡らせるだけで、存在を意識できるだけで、私の心はグッと軽くなる。


今年2度目の成田空港をぷらぷらと探索していると、団体客に写真を撮ってくれと声をかけられた。こういう時に何枚撮るのが適切なのか迷ってしまい、とりあえずカメラのボタンを連打した。携帯を団体客に返す時、5歳くらいの小さな女の子にまでお礼を言われたので、私は自分が頼れる大人になったと錯覚し、つい悦に入ってしまった。

今日は知人のお迎えでここに来た。だいぶ早めに空港に到着。タリーズでココアでも買って、本の世界に潜り込んで優雅に待とうと目論んでいたが、お金がないので結局我慢した。図らずも、悦からの即脱却を強いられた。

それでもエアコンがしっかり効いた空港でお腹が冷え過ぎていたので、130円の缶コーヒーを買って胃を温めた。


気を取り直して、持ってきた本、又吉さんの「東京百景」を読む。偶然にも、「空港」が題材の話があった。羽田空港の話だったけど。

世界のどこかに隠れる場所が必要だ、と主張しそうな人が書く文章は、私にとって信頼できる。

又吉さんはそのうちの1人だ。隠れ蓑を持ち歩いているような文章を書くなといつも思う。東京百景は、又吉さんが東京から隠れたり、身を現したりしているお話だ。不気味でめちゃくちゃかっこいい。

かくいう私は、残念ながら隠れ蓑を持っていない。東京という場所に身を現し続けて20年が経つ。だからこんなにも異国の地に憧れるのだろうか。

当たり前だけど、海外旅行にはお金がかかる。

でもその前に私は、空港での待ち時間に、思い悩まずカフェに立ち寄れるくらいの財力を身につけなくてはいけない。

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