月が綺麗なことについて
ある日アラサー仲間の友人から不意にYouTubeの動画のリンクが送られてきた。
とあるYouTuberがついていけないと別居していた奥さんと離婚しましたという報告動画だった。
友人はこれを観て、結婚してもこうなる可能性があると思うと…と悲観していた。
そもそも我々には結婚する相手がいないことが問題だ。
ただ、その動画を観て色々と思い出すことがあったのでちょっと昔話を。
私には婚約者がいた。
長らく同棲し、親への挨拶も済ませ、一応婚約指輪もプレゼントした。人生を半分あげても構わないと思った。(全部と言えないのがダメだったのかもしれない)
我が家の精神性(なんとかなるさで人にも自分にも優しい人達)、経済的状況(貧乏)諸々を理由に結局私は振られてしまった。
彼女が理解できないものを押し付けられず、かと言って自分の家族を見捨てるようなことも言えず私は身動きが取れなかった。
目の前の幸せを守るために、思考停止した時の中を過ごしていた。結果として守りたかったものを失ってしまった。
二人で住んだ家に一人で住んでいる。
帰り道から見える窓に灯りがついて無いだろうかと、悲しい期待をしては真っ暗な四角い枠を見つめていた。
無邪気に尋ねられるなんで別れたの?に対してうまく答えられずに「方向性の違いです」と煙に巻いていた。
こういうことは出来るだけ聞かない人間になろうと思った。
別れて半月ほど経った頃に不意に元婚約者に新しい彼ができたことを知った。何もかもボロボロだった。
悲惨な状態だったが、結局私は自分が愛した人を恨んだり憎んだりすることは出来なかった。
それは過去の自分を否定する事だからだったのかもしれないし、あるいは自責で考えるという圧倒的成長原理主義による思考だったのかもしれない。
ただ一つ、今でも言えることは手酷い別れではあったが、やはり愛したことに対しての後悔は無い。後悔していればもう少し利口になれるのだろうが、私の脳味噌はそういう制御が下手くそだ。
愛することは素晴らしい。そしてそれを知った人間は知らない状態には戻れない。
こんなことを言っているとまた口煩い後輩に甘すぎますと怒られるのだろう。
いつかまたこれを読んで今の自分と未来の自分が語り合えるように。願わくばこの考えを失わないままさらに歳を重ねていってくれることを祈る。
ちなみに引越し風景をわざわざ録画しておいて離婚後に動画にしてyoutubeに出すってそんなことしてるからついていけないと言われんだよと思った。
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