原体験について
私以外私じゃないの
では私とはどう因数分解できるのだろうか。
自分がどういう要素で構成されていて、それぞれの要素はどのように形作られているのか。
自分を動かす衝動の正体は一体なんなんだ。
明日も早いのに、という脳内の警告を無視しつつ夜な夜な考える。
一時、原体験ブーム?みたいな事象をTwitterで散見して辟易としていた。
言い始めの人たちはだいたい既にあるビジョンの説明に原体験を利用しているのに対して、それ見て聞かれてもないのに原体験について語り始める人たちはビジョンを見つけるためのツールとして原体験を探している。
※限られたサンプルに対しての個人の感想です。
なぜそうするべきなのかを説明するのには適切だと思うけれども、原体験からやりたいことやビジョンを導き出すのはあべこべ。
こうしたい!は衝動で成り立つべきで、過去の体験をほじくり返してやりたいことを探すのが何かの近道になるとは思えなかった。
マーケットインなのかプロダクトアウトなのか。
というのも近い話だけれど、一過性はあれど再現性を持たせられるのはきっとマーケットイン。
ただ、世の中を変えるのは、もしかしたらみんなにバカだと思われながら誰かが追いかけていた夢なのかもしれない。
そうして変わった世の中を説明することは簡単だけど、賢いだけじゃ突き抜けられない。
衝動の着地点、自分の熱をぶつける場所を見定める。
ところで、私の熱ってなんなんだろう。
この火照りがコロナウイルスでは無いと祈りたい。
(コロナネタばっかりですいません)
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