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しごと。〜志事と仕事と私事〜

こんにちは!愛知県名古屋市、大府市でパーソナルトレーナーをしている染谷海時(そめたにかいと)です。

今回は「しごと」のことについて。

これまでやってきた仕事のこと(仕事)やどんな想い(志事)でやっており、その土台にはどんな背景があるのか(私事)をお伝え出来ればと思います。

これまでの仕事の経歴

  • パーソナルトレーナー

    東京、神奈川県でパーソナルトレーナー活動(2017〜現在)

    愛知県でパーソナルトレーナー活動
    (2022〜)

  • スポーツ関連。パフォーマンスコーチ
    ・中学ソフトテニス部外部指導員(2012〜2015)

    ・中学ソフトテニステニス部のトレーニングコーチ(2015〜2018)

    ・神奈川県の高校野球部のパフォーマンスコーチ(2017〜2021)

    ・TAI テニススクール(東京)選手育成クラス、プレ選手クラスのフィジカルコーチ(2017〜2021)

    ・中央大学テニス部パフォーマンスコーチ(2020〜2021)

    ・テニス選手のパフォーマンスコーチ(2017〜現在)

  • その他
    ・PAPAMO(幼児運動の習い事教室)アドバイザー(2017)

    ・全国小学生ソフトテニス大会に岩手県選抜のトレーナーとして帯同

    ・新潟県の南魚沼市ジュニアテニス強化合宿にトレーナー帯同

    ・法政大学で特別講義

    ・テニスのトレーニングに関する講習会(オンライン、オフライン)を東京、岩手、新潟、山梨など全国的にお声を頂いています

    ・新潟トレセン冬季ジュニアテニス強化練習会にトレーナー帯同

仕事でなく、志事

私は小さい頃からスポーツが大好きで、小学校はサッカー、野球、中学はソフトテニス、高校は硬式テニスをやっていました。

どれも大した成績は残していないのですが、漠然とこんなに面白いのだから、将来はスポーツに関わる仕事がしたいなと思っていました。

大学の頃、中学時代の友人に誘われて母校の部活動の外部指導員をやることになりました。

右も左も分からない中、練習メニューやチーム作り、試合での監督などほとんどの業務を任せて頂き、これは貴重な経験となりました。

その経験の中で、世間一般でいう運動が出来る子と出来ない子それぞれの物語が見えてきました。

出来る子は自分よりも出来る子と当たるとつまづいて、その後どう努力したら超えらるのか分からずバーンアウトしてしまう(燃え尽き症候群)、一方で出来ない子は出来る風の子達にいじられて悔しそうだったり肩身の狭そうな表情をしている。

これは都大会などに行く中で、他の学校の中にはより強くそれが出ているところもありました。

特にそういったチームでは、顧問や保護者の方の声かけやアドバイスがやりすぎているなと感じました。もう生徒と大人のどっちが主体なのか分からないくらいに。

思い返せば、自分自身も色々言われることが嫌でした。

親父もテニスをやっていたので、中学で僕もテニスを選んでからは見に来てくれた試合の度に色々言われ、帰ってからもまだ言うので本当にげんなりしていました。

たしかにその中で為になったアドバイスもありましたし、見に来てくれるのは嬉しかったのですが、試合中色々なアイデアが湧くのにまた言われるのではないかと、だんだん親父の顔色を伺うように我慢したプレーが多くなり、誰の為にテニスをしているのか分からなくなったこともありました。 

親父の来ていない試合での伸び伸び具合は、凄かったのではないかと思います(笑)

でもその時のチームが好きだったから何とか皆と勝ちたい想いが勝り腐ることはありませんでした。

当時の顧問の先生は私のこんな性格を分かってくれていたのでしょう。

「今のどうしてそうなったのか分かるか?」「(分からないと答えると)そうか残念だったなあ」と毎回問いをくれて、僕が答えを出すまで待ってくれるコーチングをしてくれる先生でした。

また、僕の言ったアイデアも否定せずに一度は必ず試させてくれた上で、「それは違うぞ」と言ってくださる方でした。

おかげでテニスをしている自分を好きでいることが出来ました。
このコーチングスタイルは言うまでもなく、大学時代から今現在の私のコーチングの原点となっています。

話を戻すと、そうした私自身の経験も踏まえて出来る子にも出来ない子にもそれぞれ「もっと自分に可能性があることを知って欲しい。」「もっと自分の可能性を信じてあげて欲しい。」と思いました。

その結果「なんだよ俺(わたし)って結構出来るじゃないか」と拳を握って貰えたら最高じゃないか。
その後テニスをやってもやらなくてもその経験は残る。その経験は何年後かに活きる時が来るかもしれない。

だからこの子たちがやるかやらないかは別として、必要として聴いてきてくれた時にサポートできる存在で在りたいと思いました。

これは今のセッションでも同じです。
対象が誰でも、目的が何であっても、どんな競技者であっても同じです。

そこから私は大学が法学部でしたので、テニスやパフォーマンスに関するちゃんとした知識はなかったこともあり、スキル,メンタル,チームビルディング、対人関係など色々な本を素人ながら読み漁ったり、動画を見たり、講習会に行ったり、友人と議論しまくったり学びに没頭しました。
これは今現在も同じことをしていますね。

その中で効果も出てきたけれど、やはり伸び悩む。そして、出来ない子たちの方が伸びしろが少ない。

どうしてだろうと考えた時に運動が苦手な意識が強い子達が多いことに気がつきました。

「そうか。スキルの問題でも、試合中のメンタルの問題でもない。この子たちは運動の部分で詰まっているのかもしれない。出来る子たちは子達で自分の身体で出来ることが増えればさらに良くなる気がする。」と考えました。

そしてその当時私はちょうど就活時期でした。私は家庭の事情もあり、堅い仕事を選んでつまらない人生が始まるんやなと思っていたところだったのですが、ふと「コーチはこれを仕事にすれば良いのに。」と一人の保護者の方に言われたことを思い出し、これまでの考えと繋がり「これだ!」となりました。

そこからは親への建前で就活をして一応内定はもらいますが、その裏で専門学校を勝手に選び合格し、親には「自分のやりたいことはこの仕事だから、やらして欲しい」と頭を下げました。

「お前が本気でやりたいならやれば良い」と言ってもらい、専門学校に入り運動の勉強をし始めました。

そこから早速学んだことを現場でアウトプットしていく中で、やはり体の動きが変わるとプレーもその子の表情や態度にも違いがあることも分かりました。
良いmotionは、emotionにつながります(^^)

その後、在学中に様々な想いを持った素晴らしい方達と出逢い、そんなご縁から日本のパフォーマンスのメッカであるドームアスリートハウス(DAH)でのインターンを経て、今の自分のスタイルの土台が出来上がりました。

卒業後は個人事業主として本格的に活動を始めて、最初にあげたようなお仕事を頂きながら今に至ります。

仕事であり、志事であり、私事である。


志事でもあり、仕事でもあり、私事でもある。

今回自分の言葉にしていくなかで、色々なきっかけや想いが重なり合いながら、私の「しごと」は成り立っているのだなと改めて思いました。

自分で出来ることを増やしたい。
自分で決めて自分でやりたい。
自分の人生を自分の脚で歩きたい。

私の原点はそこかもしれません。

だからこそ相手に対してもその想いを尊重して、可能性が広がるようなサポートをしてあげたい。もちろん、自分も嫌いなアドバイスのし過ぎはしません。

アドバイスはされないけど、何かあった時やこうしようと思うんだ。となったとき聴いてくれる位置にはいて欲しい。

そんな存在が中学時代の私は欲しかったのだろう。だから中学生の指導の時にそう在ろうとしたのだろう。そこから今の自分があるのだろう
。今だからこそそう思います。

チーム指導の時やパーソナルトレーニングの時はまさにその立ち位置ですしね😊

これからも働き方や提供する相手や形は今後も変わっていくらかもしれませんが、土台となっているのは今回書いたような経験や想いです。

関わる方たちが「自分って出来るじゃん」と気がつき、拳を握ってくれる瞬間に立ち会えれば嬉しいし、表に出さなくとも陰で握ってくれているならそれも嬉しい。

今でなくとも何年後かに握ってもらえていたらそれはとても嬉しいことです。

そして今日書いた内容の言葉たちや今日までやってきている日々の研鑽、セッションを一番届けたいのは誰の為かと言えば、

劣等感も強く自己肯定感の強い人。
そう、私自身にかける為にやってきているのだと思います。

そして、そうした私を育ててくれて幼少期より良くも悪くもコーチングされて(して)きている両親や家族、親父や御袋、兄弟への今後の声かけにも繋がっていくのだと思いました。

引き続き、私自身も皆さんと共に育まれ、一緒に成長しながら自分らしく動いていけたならなと思います😊

それでは。

染谷海時

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