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当時アメリカにいた私。アメリカ同時多発テロ【911】を振り返る。



2001年9月11日朝。
アメリカオレゴン州・ユージーン。
電話の音で起こされた。


「Ayako !!起きて!大変なの。大事件が起きてるから、すぐにテレビを見て!あなたのお母さんとお兄さん、無事にアメリカに入れるといいけど。」


ホストファミリーのお母さんからの電話だった。

私はすぐにテレビをつけた。

そこに映し出されたのは、私が10日ほど前に写真に収めていた【ワールドトレードセンター】に飛行機が突っ込んでいる衝撃的な映像だった。




アメリカに留学中だった私は、その年の夏休みアメリカ一周旅行をしていた。それは、タイ人の友人と2人、アムトラック(アメリカの鉄道)に乗ってする貧乏旅行。

アムトラックに乗ったまま、シャワーも浴びず、数日間移動を続けるという箇所もあった。いやー、あれはあれでめちゃくちゃ楽しかった!

西から東へ横断し、下から上へと縦断し、そして東から西へ横断してオレゴンに帰ってきた。それが9月10日の夜のこと。約1ヶ月半の旅を終えて、久しぶりに自分のベッドでぐっすりと寝た。

そして翌日9月11日の朝。ホストファミリーのお母さんからの電話で、私は目を覚ました。





2001年9月11日午前8時46分、乗客乗員計92人を乗せたボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、ニューヨークの世界貿易センタービル北棟に衝突した


その17分後、乗客乗員計65人を乗せたユナイテッド航空175便が、世界貿易センタービルの南棟に突入

午前9時37分には、バージニア州の国防総省(通称ペンタゴン)に、アメリカン航空77便が激突した。

午前10時3分ペンシルベニア州・シャンクスビルの平野に最後の1機のユナイテッド航空93便が墜落した。

2機が衝突した世界貿易センタービルは、11日午前10時〜10時半ごろにかけて相次いで崩れ落ちた。

アメリカ同時多発テロはなぜ起きたのか。“史上最悪”のテロ事件を写真で振り返る【9.11から21年】




その日、9月11日は母と兄が日本からシアトルを経由して、私が住むオレゴン州のユージーンに来ることになっていた。


母と兄は幸いに、前日9月10日には日本から既にシアトルに到着し、そこで一泊。9月11日にシアトルから車でユージーンに移動してきた。


もし母と兄が9月11日の事件後にアメリカに到着する飛行機に乗っていたら、アメリカ国内に着陸すらできなかった。

連邦航空局がアメリカ合衆国中のすべての空港の閉鎖の措置を決定したのはワールドトレードセンターへの2度目の突入の直後からで、9時45分に全米の空港からの民間機の離陸が停止され、飛行中のすべての民間機は直ちに最寄の空港へ着陸するよう通告された。民間機の飛行禁止は3日間にわたった。

Wikipediaアメリカ同時多発テロ事件


ニューヨークから4500km以上離れている西海外のオレゴン州でも、ショッピングモールや映画館などは数日間閉鎖された。





この事件の記憶として、もう一つ私の頭に鮮明に残っていることがある。

「神はどこにいるのか」「神は我々を救ってくれる存在ではなかったのか」


9月11日事件は火曜日。その週末にもいつも通りにホストファミリーと一緒に教会の集まりに参加した。その集まりで、皆が心の不安をそう話した。


いつものように、皆で円になって座り話した。その日はいつまでも先が見えない話し合い、不安のぶつけ合いが続いた。



翌年の2月に、私は日本に帰国した。

その後、東京で開かれた911の写真展を一人で見に行った。


そこで眼にしたのは、" The falling man"という一枚の写真

AP通信の写真家リチャード・ドリュー(Richard Drew)が撮影した、アメリカ同時多発テロ事件発生時に、ワールドトレードセンターから落下する男性を写したもの。


リチャード・ドリューは次のように語っている。


新聞読者からは「朝コーンフレークを食べているときに、こんなもの見たくない」と不満の声も多いと言う。ドリューは「物語の非常に重要な部分」を示すものとして、このイメージは重要であると考えている。

「ただビルが倒れたというだけでなく、そこには人々が関わっていた。当時の人々の人生にどのような影響を与えたか。」

「私は、この人の死を撮ったのではありません。彼の人生の一部を撮ったのです。これは彼が決めたことであり、私はそれを保存したと思っています。」

https://www.nationalworld.com/news/world/the-falling-man-who-was-the-person-in-the-911-photo-who-was-jonathan-briley-and-who-took-the-picture-3378687






今から21年も前の事件。私の娘たちは知る由もない。


私があの頃体験したこと、当時の記憶や感じたこと、それらはずっと私の中に鮮明に残っている。


毎年の9月11日には、それらをちゃんと娘たちに伝えていく。




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