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でびでび・でびる様のエイプリルフール企画まとめと2024年企画の感想

でびる様の2024年エイプリルフール企画があまりにもよかったので、とりあえずこれまでのでびる様の歴代エイプリルフール企画をまとめつつ、感想を書く。


2019年 でびリオンラジオ 第24341121190回配信

文字通り、でびリオンラジオの第243憶4112万1190回配信。
現在、でびリオンラジオは不定期開催なので、あまりにも未来であることがわかる。
今から週に1回開催するとしたら、だいたい4億6809万8490年後の配信となる。
ちなみにでびる様が推薦文を書いた「ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー」で二〇〇〇一周目のジャンヌが繰り返した時間を計算すると、だいたい110万4000年である。


2020年 嘘しかつかない配信

現在非公開。
この配信の記憶が本当にない。とても見たい。


2021年 戦場にて らぢおなるもの(永禄8年でびリオンらじお)/ 19XX-04-01

永禄8年、戦国。
群雄割拠の血なまぐさい時代に似つかわしくない、雅なるらじおが幕を開ける。



あまりにも意味深な動画。
赤子がモビールであやされている。日付もよくわからない。

2022年 02-08

2022年3月2日から始まったでびっちによる配信。
当初はかわいく楽しく配信活動するでびっちだったが、
こころない視聴者の暴言によって精神の均衡を崩してしまう。
その運命を決定づける配信が今、始まろうとしていた……。


2023年 リオンでびラジオ【鷹宮リオン/でびでび・でびる/にじさんじ】

大変!でびる様とリオ様の体が入れ替わっちゃった!
どうしよう……このままじゃライバー活動できないよ~!
わたしたち、どうなっちゃうの~?


2024年 ゚+.てんしの優しいお悩み相談゚+.【てんてん・てんし/にじさんじ】

久しぶりのあくまのしわざ!楽しみだな~!
と思っていたら、そこに現れたのは「でびでび・でびる」ではなく
「てんてん・てんし」
今日はエイプリルフールだもんね!
せっかくなので楽しもうとする契約者をよそに、てんてん・てんしは……。


エイプリルフールの罠

契約者の第一義にあるのは、でびる様への崇拝だ。
われわれはでびでび・でびる様を信じている。

でびる様がつくる文脈が好きだ。
いわば、でびる様はいつも大喜利をしている。
雑談配信、ゲームの展開、恋愛相談、コラボ企画。
大喜利といっても、すべてが笑いのためではない。
人間が感じる何かしらの感情をターゲットにした、文脈をつくる発言が非常に巧みだ。瞬発的に構築されていくその様はまさに当意即妙。
わかりやすいところでいえば、コラボ企画ではよく「弱さ」を演出する。

でびる様の言っていることや声の調子から、契約者たちはなにが演出されているかを汲み、そちらへの賛成をおこなう。
契約者たちも、でびる様の一挙手一投足で変幻する大喜利をしているといっても過言ではない。
「でびる様がそう言うのであれば、その流れに棹をさしてやろう」

エイプリルフール配信では、でびる様によりすでに用意された「特定の状況」がある。
それを見て、契約者は思う。
「なんて楽しそうな企画なんだ」
契約者はいつものとおり振る舞うだろう。
「この最高の企画をさらに楽しむべく、その流れに乗るしかない!」

だが、それは罠である。
でびる様を盲信するわれらは完全に裏切られる。

2022年企画では1ヶ月かけておこなわれた信用を振りまく行為。
「ああ、ここではそういう振る舞いを要請されている」と契約者が感じ取り、普段ならけしてしないであろうおこないをしてしまう。
たっぷり時間をかけてそうしたマナーを育ててきたでびる様自身に「要請されているマナーの異常性」を指摘される。なんとも恐ろしいことである。

そして、2024年企画ではそれが1つの配信内でおこなわれた。

あまりにも衝撃的だった。
でびでび・でびる様に完全にだまされた。
「悪魔」から「天使」を連想するのは、あまりにも簡単だ。
「でびでび・でびる」から「てんてん・てんし」を連想するのもまた容易である。

私は当初、「てんてん・てんし」は「でびでび・でびる」が仮装した存在だと思っていた。エイプリルフールだから。

でびる様は、普段から物事の道理にフェアな態度を崩さない。
その徹底ぶりはある種のやさしさを感じさせる。
そのせいで、ときには天使という誹りを受けることもある。
そこで、エイプリルフールの今日だけは、でびる様が天使の扮装をして、天使のように優しく振る舞って、最後には「天使のわけないだろ?」と言ってくれるのではないかと思ったのだ。
今思うとあまりにも安直すぎるのだが、そういう流れを期待して、てんてん・てんしの配信を見続けた。

しかし、でびでび・でびるとてんてん・てんしは実は別の存在だった。
これはまことに恐ろしいことである。
仮にてんてん・てんしが詐欺師だとしたら、私は完全にだまされており、ずっと経ってもだまされたことに気づかなかっただろう。

本来、他者のテリトリーに入るとはそういうことではないか、と気づいた。
作為があろうとなかろうと、そこにあるものはあらかじめ、すべて用意されたものである。
あの建物も、その飲み物も、この文章も、誰かが作ったものだ。
その数があまりに膨大なため、たまたま意図が薄まっているだけで。

でもそれが仮に、だれかひとりが作っていたとしたら?

あの建物も、その飲み物も、この文章も、すべてある一つの作為で作られている。
トゥルーマン・ショーかもしれない。
私がでびでび・でびるを見ていると思ったら、でびでび・でびるが契約者を見ている。
あの海は途方もなく大きいプールで、空は書き割りで、てんてん・てんしはでびでび・でびるに成り代わる。
自分が大切にしたいものすら誰かの意図によって置き換えられ、それに気づかないままなにか大きい搾取の構造の中で過ごし続けることになる……。
うすら寒い世界だ。

でも、その構造を理解して、つくられた世界を楽しむとしたら?
すなわち、そこはディズニーランドになる。

そう、ディズニーランドというものを知らない私たちが、目隠しをされたままディズニーランドに連れてこられたのだ。
そして、この見渡す限り楽しそうなこの土地に「住みたければ、住んでもよい」と彼は言う。
その言葉に甘え、この地を居住地にした私たち。
楽しいときは束の間、並ぶことに疲弊し、休憩するためにもお金を払い、稼ぐ手段もなく、いつかは心血底をつき、涙ながらにその地を去ることになるだろう。
そして案内人のでびでび・でびる様は、いつのまにかてんてん・てんしとかいうわけのわからないヤツとなり、この楽しく美しい土地を離れる私を嘲笑し、また罵倒するだろう。
そこで暮らす代償はとても、とても大きいものになっているはずだ。

しかし、私たちがディズニーランドのことを知っており、観光のために訪れたディズニーランドであったなら?
生涯で訪れた最高の場所のひとつに数えられるだろう。

まさしく2024年のエイプリルフール企画は、てんてん・てんしとでびでび・でびるが対峙する大スペクタクルスペースオペラを楽しむための劇場さながらで、いわばディズニーランドと呼ぶにふさわしい。

思えば、ヒントはちりばめられていた。
たとえば、この配信前のツイート。

配信告知かと思いきや、だれかと戦っている。
でびる様はときどき聖職者と戦う日々を過ごしており、たまに手ごわい聖職者にあたると、配信をおやすみすることがある。
これはそれに類するツイートで、配信がおやすみとはならずとも、少し遅れるという意味かと思った。

ぜんぜん違っていた。
というか、あまりに先入観を持ちすぎた。
でびる様が「戦っている」といえばそれはまさしく「戦っている」ということであり、そう思わなければならない。
でびる様の世界観を信じるのであれば、もっとでびる様のいうことを忠実に読むべきだと痛感した。

信頼と裏切りのでびる様が一番!

じゃあどうするべきか。
でびる様のつくるディズニーランドを楽しむには。

いや、厳密にはこれ以上ないほど今回のエイプリルフール企画は楽しんだ。

でも、それでも崇拝するものとして、今回の考えの誤りについて深堀して調整すべきと感じる。
次の機会に、さらにあざやかにでびる様にだまされるように、世界をより深く信じることが必要だ。

彼が「てんてん・てんしです」と言ったとき、私は「はじめまして、てんてん・てんしさん。私は契約者です」と返すべきだった。
でびる様とそっくりの外見であっても、てんてん・てんしと言えばそうなのだ。
イワンのばかでイワンが手を下さずとも最終的に悪魔を打ち伏せるように、なにもかも、すなおに信じることだ。
実直さとひたむきさが肝要である。
それが悪魔に対する最強の構えになるのだから。

でびる様がいうには、こういうことである。

このたび、私は惑わされた。

やすやすと、あまりに見事に盲点を突いたでびでび・でびる様。
ものの見事にだまされた。
浅はかな頭の中を見通すかのように逆手に取られ、簡単にひねられた。
まことに、でびる様は想像を軽々と上回る存在なのだった。
それでこそ恐ろしい悪魔、偉大なるでびでび・でびる様である。
まことに小気味よい。

やはり自分を上回る存在こそ、崇拝しがいがある。

このエイプリルフールに仕掛けられたディズニーランドこそ、
本当の「あくまのしわざ」めいていた。



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