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バックシャンプー


遅ればせながら、バックシャンプーなるものを経験してきた。
「今ごろ?」
と馬鹿にしないで欲しい。
私が馴染みにしている理容室は何も、原宿や表参道にあるのではない。
田舎にある、しかも格安のチェーン店なのだ。
店内にいくつもの椅子があってそこに番号が振ってあり、流れ作業的に客をさばく、そういうお店だ。
私はそこで散髪した後、薄くなった頭髪を染める。いわゆるヘアカラーというやつだ。とにかく料金が安い。それで数年通っているうちに、そこそこ馴染みの店員も出来た。

Kさんという私より少しだけ若い女性店員がいる。
もう孫もいるというから、うん、私よりは若いというだけで、決して若くはない。
Kさんはもう理容師歴も長いが、このお店では主に顔そりとヘアカラーを担当している。それで、くさぐさの話をするようになった。

ちなみに私の薄くなった眉毛を上手に整えてくれるのも彼女である。
本人もなかなかのおしゃれで、綺麗にマニュキュアもしているし、その年で(失礼!)お店に行ってまつ毛の手入れもしてるらしい。
私が加齢のせいで、顔の皮膚がたるんでる、と愚痴ると、小顔マッサージの器具を進められた。百円ショップにもあるという。
「私もそれ使ってるよ」
とKさんは言うが、彼女の美意識が高いのかどうかは、時々分からなくなる。

「また少なくなった」
Kさんに会うと、開口一番、私はそう言う。
頭髪の事である。
「それほどでもないと思うよ」
とKさんは笑いながら慰めてくれる。

同年代のよしみで、色々話していると、Kさんがこれまで生きてきた人生の背景もうっすら分ってきた。
Kさんはある事情で、養父母に育てられたのだという。
手に職をつけるのだと、理容師の道を進めたのも、養父母らしい。
苦労して育ち、今の旦那さんと結婚した。
二人の間に男の子が生まれて、その彼も結婚し、孫も二人できた。
これからやっと幸せになれる、と思ったら、今度はその最愛の息子が脳腫瘍で若くして死んでしまった。今は残された孫をKさんが育てているのだという。
「だから、まだまだ頑張らないと、ねえ」
と、苦労話をしながらも、いつも前向きだ。
その話を聞いて、私はつまらないことで愚痴っている自分が恥ずかしくなった。
「俺はなんて小さい人間なんだ。Kさんの苦労に比べれば髪の毛が薄くなったくらい・・・えええ、いっそ、戒めのために、今すぐ俺の髪の毛を百本抜いてくれ・・・」
冗談めかしてそう言うと、Kさんのツボにはまったらしく、他の店員が振り返るくらいにけらけらと笑ってくれた。

その日、Kさんは洗面台を指差し、
「バックシャンプー、県内では○○店とうちだけにしかないんだよ」
とそう言った。
そりゃあ、有難い機械かもしれないが、バックシャンプーくらい、私だって、人がおしゃれな美容室や理髪店でやってるところ、テレビで見たことがあるよ、と言いかけて、それも何だか癪なので、これどうやってひっくり返るんだよと、前の鏡を見ながら、自分の体を右に左に傾けていたら、急に椅子が背後に百八十度回転して、ああそうか、このまま体を倒せば、バックシャンプー、といっちょう上がり的な感じで、妙なところで先制パンチを食らってしまった。
「これ、結構評判いいんだよ。皮膚の隙間までくまなく洗えてる気がするって、試したお客さんがそう言ってたよ」
とKさんはそう言った。

私はてっきりその態勢のまま、いつものようにKさんが指先で丁寧に洗ってくれるものとばかり思っていたら、いきなり機械を操作する音がして、後頭部にシャワー的な水流が浴びせられてきた。それも二か所から。それが時折、リズムを変えたり、水圧を変えたりと、妙に小賢しい。
「これって本当にいいのか?」
食洗機の中の皿もこんな気分なのだろうか?と愚にもつかないことをあれこれ考えているうちにタイマーが切れて終了した。
「どうだった?」
と、Kさんにそう聞かれても
「うーん、何とも」
としか答えようがない。
「ふれあいがねえ・・・」

つまりは、私が言いたいのは、こうである。
便利になるのは一向にかまわない。だけど時と場合によっては、人と人とのふれあいが欲しいのだ。
背中に覆いかぶさるようにして洗ってくれる店員さんの指先がうっとりするほど心地よく頭の隅々まで動いて、
「どこか、痒いところは、ありませんか?」
と洗髪中に訊く。
そこで私はすかさずこう言うのだ。
「強いて言えば、背中かかなあ・・・」
「もう、○○さん、冗談ばっかり」                                                                      少し恥ずかしいけど、そんなべたなふれあいが、私は欲しいのだ。

そんな思いをKさんも察したようで、煮え切らない風に、店を出ようとする私に向かって、
「うまくいくといいね」
「え、何が?」
「資格取るんでしょ?」
「そんな話したっけ?」
私がこの歳になって、介護関係の資格を取ろうとしている話をしたことを、覚えてくれてるらしかった。
「お互い頑張ろうよ」
そう言って笑うKさんの目じりには化粧でも隠せない、年相応のしわが目だった。
いくつになっても、同年代のそうしたふれあいは有難い。


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