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思てたんと違う! (想像していたのと違っていて、残念!)

近頃便利になって、ネットで気軽に買い物ができるようになったのはいいけれど、送られてきたら、意外に想像していたものと違っていて落胆するってこと、ないだろうか?
希望的観測ということばがあるが、人は概して未来に期待を込めて、よりいいように想像したいので、案外結果は期待外れでがっかりすることも多い。
愚か者であった私の半生は、それが顕著で、そんな時、心の中で、こう叫ぶ。

思っていたのと違う!

実際は、おもてたんとちがう、で、私は関西出身ではないが、若い頃、関西に住んでいたことがあるから、そのニュアンスは解るつもりである。
昔、M1グランプリの時、笑い飯の西田が予想に反した結果に大きな声で「思てたんと違う!」と叫んだのは有名だが、期待にワクワク浮かれていても、大抵は、裏切られ、消化不良の結果に終わることが多くて、近頃では少し少なめに期待することも多いが、それも寂しいので、また期待して裏切られる、その繰り返しである。

そんなこんなで、こんな思いをしているのは決して、私ばかりではないだろうと、みんなの当て外れを期待して、ネットを検索したら、いきなり、「思ってたんと違う!」という歌が出てきて、まさに思ってたんと違うでびっくりした。

思てたんとちがう!
こんなはずじゃなかった
何かの間違いじゃないの?
思てたんとちがう!
どうしてこうなったのかしら

現実の日々の生活の中でもそうだし、もっと長いレンジの人生設計においも、そうだ。
何よりも思ったのが、自分の今の姿である。
若い頃、想像した自分の晩年は、もっと悠々自適なものだった。
子や孫や、一族に囲まれて、大黒様のような帽子を被せられて、いつもニコニコ笑みを絶やさず、時々みんなにお小遣いを振舞い、いいからいいから、取っておきなさいと去っていく。
実際は何か、有事があれば、剣客商売の秋山小兵衛のように、不意に現れて鮮やかに一族の問題を解決する(ここは分かる人にだけわかる)、切れ者なのだけど、それは普段はつゆにも見せぬ。きっとそんな年寄りになっているに違いない。とそう勘違いしていた。

しかし現実は、自業自得とは言いながら未だにパートに出て、下僕のように若い上司や同僚に気を使いながら、日銭を稼ぎ、家族にも特に尊敬されている様子もなく、時にはむしろ、身の振り方を考えろと引導を渡されて、八方塞がりである。

まさに、
思てたんと違うーーーーーーーーーー!!!

だいぶ叫んだ。

そりゃあ、思っていた通りの人生を送っている人の方が少数で、大抵はなんか違うなあ、と思いながらも人生に辻褄を合わせて、妥協しながらも懸命に生きてるだろうし、うまくいかないから人生は楽し、などど能天気の極みの人もいるかもしれない。

幸い、私はこの歳になって、ふとしたことでここでの投稿をできるようになって、愚か者の言い訳がたっぷり出来るようになった。それは大変よかったが、こんなじじいの戯言、それほどみんなは興味もなく、思っていたほどの反響もない。それは、思っていたとおりである。

残念!

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