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若い砂漠 ある青年との出会い

先日不思議なことがあった。

早朝から、トントン戸を叩くような音がするので、こんな早くから誰だろうと思って、玄関に出てみると、誰もいない。

寒さに震えながら、寝床に戻り、うとうとし始めると、またトントンと音がする。隣家で緊急の大工仕事でも始めたのかとも思ったが、そんな道理をわきまえないお隣さんでもない。

あんまりトントンが激しいので、抜き足差し足、音のありかを確かめると、二階から音がする。窓から外を覗き込んで、驚いた。

窓枠にキツツキがへばりついて、家の壁をトントンつついているのだった。

朝からファンタジーって、呑気に言ってられない。窓ガラスをトントン叩いて、丁重に退散してもらった。

自然の中で暮らしていると、ふとした出来事につい立ち止まることがある。

八ヶ岳周辺もすっかり冬支度で、私の住む林もだんだんスカスカになっているが、先日、散り残った枝先の一枚の葉っぱが、ついには風に飛ばされて落ちる瞬間を見ていた。

高い梢を離れて、葉っぱはくるくる回って、落下した。それはもう初めから予定されていたように、一度も枝先に引っかかることなく、鮮やかに、しかも緩やかに、地上に降り立った。

よし、私は誰に呟くともなく、そう言った。

自然の摂理というものが、もしあるとするなら、きっと、このような些細な出来事にも存在するに違いない。

大袈裟だよって、本当に言えるのかな?

その日はふたご座流星群が現れると、今年最後のことだと、ニュースが伝えていた。

私がパートに出ている宿泊施設にも、星を目当てに都会から訪れる人が多い。今日はきっと混みあうなと、思いながら出かけた。

ひとりの青年の話をしたいと思う。

その日、ひとりでやってきた青年。今は東京で働いているが、田舎は津軽だという。浴場の掃除に来た私と、たまたま二人だけになり、つい話し込んだ。楽しそうに集う同年代のカップルも多い施設で、一人だけ少し屈託した横顔を見せるその青年は浮いていた。お客様と従業員の垣根を越えて、話し込んだのも、そんなことがあったかもしれない。

ふたご座流星群の話をすると目を輝かせた。月が傾いた深夜、あるいは明け方がよく見えるかもしれない、という私の言葉に、彼は素直に頷いた。津軽には放浪時代の若い頃、何度か訪れたと告げると、彼は相好を崩して、高校の頃津軽三味線を弾いていたことを教えてくれた。高橋竹山や吉田兄弟の話で盛り上がった。

私は津軽平野に佇んだ態で、美しい岩木山やリンゴの木を想像しながら、何故か、最近訪れたミュージアムで見たアフリカのマスクの話をした。

「マスクったって、今どきの感染症対策のもんじゃない。大事な儀式の時に、目には見えない深遠なものと出会いたいときに、被るもんなんだ。アフリカの人たちは、そうすることで何かこう、それに近づきたいとそう思っているに違いないんだ」

そんな時もありますよね、誰だって・・・

次の日、連泊した彼にまた会った。

「どうだった、昨日は?」「流星を見ていたら、深夜二時ごろ、もっともっとはっきり見たくなって、ほら、八ヶ岳の登山口の方まで歩いて行ってきました、…平っていうところ・・・?」「えっつ、あそこまで大分あるよ、ずっと上り坂だし…」「気が付いたらゲートが閉じてて、でも見上げると夜空が今までに見たことがないくらい綺麗で、何だか体ごと吸い込まれていくようだった・・・」「そう、じゃあ、今日は眠たいでしょ?」「いえ、そのあと気付いたら、部屋に戻っていて、いつになくぐっすり眠れました」「それは良かった、本当に良かった」

ぼくはふと街の片ほとりで逢ふた                   雨の中を洋傘もささずに立ち尽くしてゐる               ポオル・マリイ・ヴェルレェヌ                      仏蘭西の古い都にふる雨はひとりの詩人の目を濡らし          ひとりの詩人の涙は世界中を濡らす                  どうやらその雨はぼくがたどりついたばかりの若い砂漠をも       少し                            安西均


私は、その夜の出来事が、彼の若い砂漠を少しでも潤してくれたことを、喜んだ。

「遊びに来てくださいよ」「え?」「津軽に」「行くよ、行く行く」「ぜひ」

私だって、時には君のように、深遠なるものに近付きたいという、衝動にかられることも、あるもの。ほんとだよ。









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