暗闇の思想

「実際、松下竜一さんのことを知っていなかったら、僕は、水俣に来ることはなかった」
と、西川君は言う。
もう四十年も前の話。
「水俣実践学校」に参加した時のことである。

西川君は、年のころは今でいうアラサー、風貌は眼鏡をかけてるせいか、名前とは違い、相方の横山やすしに似ていた。
彼は関西の何処かの中学校の教諭を辞して、この学校に参加していたのである。

「松下竜一さんて、あの「豆腐屋の四季」の、あの人・・・?」
「そう、僕の尊敬する人の一人だよ」
と西川君は、何の迷いもなく、そう言う。
「君も知っとるやろ?」
「うん、もちろん」
私は嘘をついた。

無論、その名前は知っていた。
松下さんの著作「豆腐屋の四季」はテレビでドラマ化されて、私もそれは観た記憶がある。
貧しさと病弱の中、地方都市で豆腐屋を営みながら、短歌を作り、文学への憧れを持ち、さらにはのちに妻となる女性との愛を貫く物語。松下さん役には緒形拳。若妻役には川口昌、弟役に林隆三がそれぞれ演じていた。

だが、告白すれば、私の松下さんへの知識はそれくらいで、むしろその泥臭さが自分と同じにおいがして、意識的に避けていた気がする。だから何故、西川君が松下竜一さんの影響で水俣について関心を持ち出したのか、解らなかった。

「ほなら、暗闇の思想についても、解っとるよな・・・」
「暗闇の思想・・・?」
「だから何も火力発電所に反対やから言うて、原始時代に戻ろ、言うんではない。電気の大切さは重々理解した上で、いったん立ち止まり、振り返り、それがちょっと行き過ぎてるなあ、と思ったら、少し後戻りしても、ええんやないか、それが暗闇の思想の考えや。これ初め知った時、なんやシンプル過ぎて、当たり前のことやん、そう思ったんやけど、人間、意外とそんなことが実行できひんのよ、だから当たり前のことでも頭上に旗立てんと、ね。・・・」

私は会話の後で、松下竜一さんが、豊前火力発電所の建設反対運動にリーダーとして尽力していることを知った。
そして、それは水俣の戦いが刺激となって始めており、根っこのところで繋がっていた。
西川君はさらにその考えに影響されて、水俣に来たのである。
その後、松下竜一さんの著作や記事を読み漁るうちに、私もいつしか「暗闇の思想」的な考えを意識するようになった。

あるエピソードが印象に残った。

夜、部屋の灯りを消し、ろうそく一本を灯す。
子どもたちを呼んで、そこで松下さんは絵本や物語を読み始める。
暗い空気の中、それ故に彼の話を聞く子どもたちの息をひそめた熱気が伝わってくる。
子どもたちは、今、自分の話を聞きながら、それぞれに頭の中に自分のイメージを拡げているんだろうな、とそう思える、時間。思わぬ暗闇の効果だった・・・。

今ある便利さや豊かさをすべて否定するものではない。
だが、それらを得た代償として犠牲になったものがたくさんある。
そのことに思いめぐらすことが最も大事だ。
そして、行き過ぎたものに気付いたとき、引き返す勇気も。

「だからな・・・」
西川君は続ける。
「水俣のことを知ったからって、誰もが明日からプラカード持って運動できるわけではない。ここで学んだものをこれからの自分の生き方にとり込んで、いわば、「水俣的生き方」「暗闇の思想的生き方」をすることが大事やと、思うねん」
「水俣的生き方ねえ・・・」
「そうや、水俣で戦ってきた人からそれを学ぶんや、ろ?」
「西川君、君は偉いよ、すごいよ、僕と同年代なのにそんな考えが出来るなんて・・・」
「何言うてんねん。僕かて、君と同じや。松下さんのことを持ち出したのは、カッコつけや。僕かて・・・」
「え?」
「離婚しなったら、ここに来てへん」
「そんなものかなあ」
「そんなもんや」

西川君はそう言ってこの上ない笑顔を見せた。

西川君、あれからお互い年を取ったけれど。どうしてる?
ぼくは・・・でも一応・・・頭の中に・・・今も旗は立てているよ・・・


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