春の食卓
不要となったニンニクの球根を去年の冬、知り合いの農家からもらった。
何気にこれも知人から借りている畑の隅に埋めて置いたら、いつの間にか芽が出てぼうぼうになっていた。
不意にこれと牛肉を炒めたら美味しそうと思ったら、ごくんとなった。
おかげさまの怠け者でほったらかしにしていたら、畑の小松菜に菜の花のような黄色い花が咲いている。
そうだ、これも炒めようと、邪魔な花を落として地面に投げやったが、ふと思いなおして、拾いなおした。今日はこっちを生かそう。
天才的な直感シェフの私はその時、菜の花の辛し和えが頭に浮かんだ。これで二品。
そう言えばそろそろ山菜の出る時期。
幸い畑の近くで毎年取れる野生のタラの芽もゲットだぜと、少し前に流行ったポケモンゲームを思い浮かべながら、これって、「春の食卓」
そう思うと急に心が浮きたってきた。
早速家に帰って料理を始めた。
野生のタラの芽は少しとげとげがあって、白和えには向かないが、今日はどうしてもそうしたいと、木綿豆腐をつぶした。
それにうちで作った梅のエキスを入れれば、これは、うん、体に良さそう。そうだ、辛し和えには黒酢を入れて、うん、これも体に・・・次から次とアイデアが浮かんでくる自分の才能を恐れながら、当然ニンニクの芽の牛肉炒めも手早く作り、さあ、食べようと、よだれを垂らしたところで、ふと、手が止まった。
もう一品、そう、もう一品。タラの芽もニンニクの芽も小松菜の花もまだ残っている。
それで何か忘れられているものはないかと、物置をあさったら、収穫時には喜んで食べたが、とても食べきれず、放置されていたジャガイモと、人にあげるのもはばかれる、つまりはとんだ失敗作の形の悪いニンジンが出てきた。
それらを全部混ぜて、かき揚げを作ることした。
どれもこれも、不要となったもの、捨てられそうになったもの、放置されていたものばかりだが、これが思いのほか、美味しかった。
これはもう、正式に春の食卓として、整えるべきだ、と小さなテーブルを玄関先に持ち出し、ついでに少し前に作っていたふき味噌も携えて、戸外での食事と相成った。
高原の春の風に吹かれながら、出来上がった料理を並べる。林の何処かでウグイスが鳴いている。ひとしきり前まではずいぶん下手くそだったのが、今はもうずいぶんうまくなって、ああ、君も成長したんだね、と全然成長しない私もなんだか優しい気持ちになって、小松菜の黄色い花を瓶に差し、食卓に飾った。
もうここまでくると、テンション爆上げである。
不要となったもの、捨てられそうになったもの、放置されていたものが、それでも寄せ集まれば、こんな素敵な食卓になる。
「この世に必要とされてないものは何もないんだ」
自分の不甲斐ない半生をも重ね合わせながら、不覚にも料理を頬張りながら、目には薄っすら涙をためて、はたから見れば少し気味の悪い光景になってしまった。
幸福な気分で食事を終えて、ヒーローインタビューの野球選手のように「最高です」と手を合わせる。
きっと、今、私の体にはたくさんの春の息吹が取り込まれて・・・手のひらを口の前に持っていき、はあっと、息を吐く。
「ん?」
確かに春の息吹は・・・
今日は気にしないでおこう。
明日ドラッグストアーで加齢による口臭防止の歯磨きを買ってこよっと。
相変わらず最後に来て盛り上がった雰囲気が台無しである。