直交する

昨夜から、妙に意欲が湧いている。
夜中に工作みたいなことをしたり、時間を忘れて考え事に没頭したり、人と会って話がしたいと思ったりした。
軽躁状態だな、と思った。
先日来、精神科の薬を飲み始めたことに思い至った。薬はよく効いた。

去年の夏頃は、頭が全く働かなかった。退職直後の手続きが捗らず、何をどうすればいいかもわからなかった。考えることがとても大変に思えた。
雇用保険の手続きでハローワークに行き、保険、年金の手続きで市役所へ、ついでに、障害者手帳の申請、障害者年金や市民税県民税についての質問などをした。
質問をし、答えてくれたけど、なんだかわからなかった。つまり私はどうすればいいのか? 会話というのは順番がある、相手の説明が終わり、私の番になった。何かを言おうとして、しかし何を言えばいいのかわからなくて、なんとか言葉をひり出した。

怒りが体じゅうに満ちていた。視野狭窄に陥り、余裕はなく、人々が愚かに見えた。世界に幻滅し、何も期待しないといった気分。こんな社会に適応する価値はない、と思った。かつて感じていたはずの、人や社会に対する感謝の気持ちなど、微塵も残っていなかった。感謝、謙虚? 鼻で笑いたい気持ち。
精神科の薬は強いので、なるべく飲まないでいこうと考えていたが、胸痛のためやむなく薬の助けを借りることにしたのだった。

今は、人や社会に対する信頼感を取り戻している。
感謝、楽観、創造的な気分。とても楽だ。
こうまで違うのかと驚いた。そうか、あれはうつ状態だったのか、と。
世界の見え方が、まるきり変わった。
朝、起きようと思える。
世界には、朝早く起きるだけの価値がある、と信じられた。

こんな自分が、生まれて、生きて、死んで、それは誰にも影響を与えないのに、たとえそうであっても、自分には、価値があるのだろうか?
たった数日前には、そう考えていた。

薬や脳内物質でこれほど変わるなら、いったい人間の本質とは、なんなのだろう。主義、思考、記憶、価値観……。

人格形成において重要な記憶は書き換え可能であり、善悪の価値観も容易に反転する。過去は改変されうる、身体の細胞は入れ替わる、人と交わした言葉は忘れゆく、喜び、悲しみ、怒りはいつしか消え、もう思い出すこともない……。

いったい「私」とは何で、どこに在るのか?
この、交換可能な「私」という存在に、どのような価値、意味、必然性があるのだろうか?


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