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生活と、新生活

 物心ついた時には一つの住まいに家族5人で住んでいた。始めの住まいは風呂なしの2Kで、乳幼児だった私にもベランダに設置された簡易風呂に入った記憶がある。その後の3DKの団地では、引越初日に洋式トイレの使い方を父親が説明したくらいだから、だいたいの時代背景はわかっていただけるだろう。3DKとはいえ、末子の私に個室の余裕はなく、リビングと位置づけられた6畳和室に置かれたテレビの横に学習机があった。夜になると、姉兄が9時からのテレビドラマに釘付けになっている横で、就寝時間となった私は布団を被らされてた。それでも数年後には4LDKのマンションへ引越し、個室も与えられたから恵まれた住環境であったが、子どもたちが成長すると、大人5人がマンションの1室で過ごす週末は人口密度が高く感じたものだった。

 そんな風に20数年過ごしたせいか、多人数で生活することに抵抗がなかった。縁あって所帯を持つことになり、やがて家族が増えていった時に、1つ屋根の下が人いきれと荷物で溢れかえっても、それが生活、と、むしろ居心地の良ささえ感じていた。

 そのせいか、親として、子どもへの躾が甘かったのかもしれない。

 個室を与えられているのに関わらず、あまり個室で過ごさずリビングにたむろする子どもたち。私物はあちこちに置きっ放しで何が大事で何がゴミなのか分からない。私物がそうなのだから、所有物が曖昧なものは親の管理まかせ。

 こちらの気持ちとしては、言わなくてもわかるでしょ、で、子どもたちもわかっているフリはするのだが…。叱らない子育て、を目指した気はなく、そこまで頭は悪くないと自負する子たちだが、黙っていても動かないし、仕方なくガミガミいうようにした。が、効果がない上、ストレスが溜まるのは親の方。挙げ句の果て、この家汚い、と言い放たれた時には、体罰もありじゃないかとよぎった。

 しかし私には、そんな生活も、上の子が社会人、下の子が大学生になるタイミングで終わるのではないかという、淡い期待があった。子どもたちが家にいる時間は著しく減り、それで子育て終了、片付いたリビングでお茶とお菓子をいただきながら、海外ドラマを堪能する新しい生活を謳歌できるだろう。


 
 ところがそのタイミングでコロナ事案が発生。リビングには新人研修とか新入生オリエンテーションとある資料が散乱、2つのパソコンが持ち込まれ、年頃の子がソファーでゴロゴロしてる。

 敵が未知のウィルスでは引き籠もるしかない。家は引き続き密なまま、大人が3人、時に4人が朝食を食べ昼食を食べ夕食を食べ、一日中テレビやネットを注視しながら家で過ごした。

 それでもやがて、大学生はシビレを切らし、バイトを始めた。新社会人はリモートワークと出社のハイブリッド勤務になった。怖い怖いといいながら、一時のGo Toトラベルで旅行に行き、食事に行き、新しい交流もできてきて、少しずつ前に進み始めていた。私たち親も気をつけながら外出し外食し、ワクチン接種を済ませた。


 コロナ禍2年目、社会人が独立して家を出た。
 大学生は週3回の対面授業が始まり、なぜかバイトを増やして2つ掛け持ちしだした。

 私はパート勤務を再開。夫はコロナ渦で夜遊び、という訳にはいかなくなったが、時々コソッと一杯短時間で寄り道しつつ、もうそこまで働きざかりとは言えなくなった毎日をそれでも真面目に勤務している。

 一人が家から居なくなり、一人は羽を伸ばし始め、いつの間にか、夕食は殆ど夫婦2人きりになっている。チューハイで寝入ってしまう夫と、海外ドラマを観る私がリビングの端と端にいる。

 あれ?急に?

 急に、こうゆうのがきた。おとといくらいまで、こっちで腹が減ったといい、あっちで何かを蹴飛ばしていたのに。

 放たれた大量の時間、圧倒的な静寂、知の空白。何をしよう?何かすべき?これが望んでいたもの?時計だけが動いている。

  
 外出から帰ってきて、独りソファーに座る。片付けたものは片付けられたまま。夫婦で過ごすには十分な空間。

 私の新生活が、始まったんだろう。

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