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必要とされない人間でいい

必要とされる人間じゃないと
この世に存在してはいけない

そんなことをずっと
思って
今まで生きてきました

でも
この世に誕生したということで
もうそこはクリアしています

必要とされているかどうか
誰かの為になっているか
役に立っているかは
生まれた時点でOKなので
考えなくていいとつくづく思います

要は
そんな風に
外に外に
自分の存在意義を求める必要はないんです

もっと言えば

幸せは外にはない

ヨガでいうところの
内側にあるよ
だから
体を使って
呼吸を感じて
自分の内側(真我)と
つながっていこう!
ということです

しかしながら
かれこれ
20年近く
体でヨガのポーズを実践し
呼吸法で浄化に努め
インド哲学を学んで
わかっていたつもりでも
腑に落ちていなかったと思います

ただここに来て
強烈に実感をしています

家族
会社
連れ合い
子供
仕事
そこから
必要とされている充足感

この外側からの
感謝
ありがとうと言われたい
すごいねと言われたい
そんな思いはとても重く
執着となります

そして
残念ながら
幸せを感じる外側の対象は
確実に
無くなります

諸行無常

仕事
会社
成績や賞賛、報酬を受けたとしても
自分の努力では
どうにもならないことで
一瞬で無くなります

家族という形は
無くなることはありませんが
必ず形は変わっていきます
その現実を受け入れず
連れ合い

子供を
個と捉えずに
いつまでも
そこからの感謝や
必要とされている
求められていることだけに
喜びを感じていると
執着からの支配となり
お互いの自立と自律を奪います

この事実を
早い段階で受け入れることがとても大切です

年齢を重ねれば重ねるほど
この執着は頑なになり
自分の周囲と
自分自身をも凍り付かせるでしょう

そう
必要なのは
あなたがあなたの為に
どんな人生を歩んで生きたいのかと
常に耳を傾け相談し
行動していくこと

その結果
自分のやりたいことをやって
ありがとうと言われたら
こちらこそありがとうと
感謝を返せばいいだけのことであり
必要とされているか
役に立っているかと考える余地はなく
執着という粘着テープはなくなります

体も心も
そして
周囲も軽やかな世界に変わります

執着を手放す

この言葉は
ヨガでは何度も出てきます

欲をなくすことなのかと
勘違いしてしまいがちですが

そうじゃありません

自分の内側

しっかり内観し
自分の声を聴いて
自分の真我を自分だとしっかり認識していけば
内側から起こった欲は
執着ではありません

どうでしょうか
外側
外側に求めていませんか?

本当の心の声を聴いていますか?

シニアヨガ
認知症予防ヨガを続けて
最近つくづく
人間の老い
自分の終末へ向けての
心の軽さの必要性を
感じての今日のnoteです

ヨガを通じて心と体をすこやかに!自分自身の経験があなたの力になれたらと思っています。どうぞサポートいただければうれしいです!よろしくお願いします。