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「待つ」という活動的な在り方

マットセッション(静岡)とベッドセッション(静岡・名古屋)をソマティカでは提供させていただいています。

マットセッションはWuotai osteo dance(ウータイ オステオダンス)というオステオパシーと道”Tao”を融合したフランス生まれのボディワークです。

ベッドセッションはクラニオセイクラルを主としたオステオパシーのセッションになります。

またの機会にそれぞれもう少し詳しくご紹介したいと思いますのでよろしければお付き合いいただければと思います。

触れる度合いや筋膜へのアプローチの仕方など様々な違いはありますが、どちらのセッションにおいても大切にしているのは「非侵襲的」であろうとするセラピスト側の在り方にあります。

非侵襲的、というのは元々「生体を傷つけないような」という意味であるそうです。 身体に負担を与えないことを意味し、皮膚や身体の開口部に器具の挿入を必要としない手技に対して用いられると看護用語として説明されていました。

関わりを保ちながら変化を強要しない、というニュアンスがセッションの現場においての意味合いとしてはちょうどよいかもしれません。

セッション中、非侵襲的であるセラピストの姿勢は「待つ」というアクションとして現れます。

「待つ」という言葉の持つ雰囲気は消極的で受け身、何もしない、そんなイメージがあるかもしれませんが、実際に「待つ」ということをやっていると、ただなんとなくふわふわと漂っているのではなく、輪郭をはっきりさせながら余白を作っておく、それはとても活動的なものなのです。

先日、ふとした時に舞踊家で俳優の田中泯さんが映画に出演されているシーンに遭遇し、その姿に魅入りました。
少し頭を傾ける微細な動きに、目線は表に向けたまま首の骨の一つ一つの動きを追い続けるように、意識は身体の中の深い芯の部分と画面に映っていない見えないはずの坐骨の重心は碇のように地中深くまで根ざしているようでした。

貼り付けていない自然の軽さと重み。

画面から滲み漂うその在り方は、「待つ」ということを考える時、自ずと浮かび上がってくるようになりました。

セッションを受けにきてくださる方は多かれ少なかれ「変わりたい」という望みを持ってこられていると思います。
ですがお話の中身や触れた時の感覚では、その身体は様々な外的ストレッサーによって反応が起き「変えられた」というそんな一面も持ち合わせていることが多くあります。

そんな、やられてしまった〜という意識状態の時に「変えてやるぞ」「変わった方がいいぞ」とグイグイ乗っかると押し合いへし合い、引っ張り合いの力勝負になってしまう。
圧を感じると無意識のうちに身体は抵抗するために力が入ってしまう。

ギバーが自分自身のスペースを確かに保持しその中にくつろぐ時、また一方のレシーバーのスペースも尊重される。

余白を感じられることで身体はゆっくりと安全を確保し安心することができる。
安心すると身体は生き物本来としての、休む力を発揮していきます。
ゆったり安心して修復し目が覚めると広がった視界に光がさす。

社会的な人間というよりはもっと生物としてのヒトの持つ生命の力を信頼する。
生命の奥に広がるプリミティブな部分に光を当てている。

「待つ」という実は主体的な動きのある在り方と、十全に可能性を発揮しようとする身体の相互作用によってだんだん育っていくものは、セッションルームを出た先の巡る輪も同じではないかと思います。


『クラニオセイクラル〜マインドフルに本来の自分に戻るセッション〜』
total therapy salon SOMATTICA(ソマティカ)
https://somattica.com/

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