不知火

「今朝提出してもらった遠征艦隊の報告、読み終わったところだ。上々な結果だな」

「は。ありがというございます」

「まぁ、そう固くならなくてもいいぞ。」

「うーん……」

陽も傾きかけた昼過ぎ頃。提督をはじめとした面々は昼食後の予定組と、報告を着ていた。

「報告と一緒に要望されていた、艦隊内の何人かの近代化改装の件は進めておく。それから、錬度の均衡化もな。そっちの方は少し待ってくれ。別な作戦の準備で手がまだ空かないんだ。」

「承知しました。」

「ふむふむ」

提督の執務室の机の前に立ち、話を聞いているのは不知火だ。

「遠征帰りで付かれているだろう。今日は予定通りこの後はやめに切り上げて、しっかり休むように。」

「はい」

「あー……成る程なぁ」

ちなみに先ほどから何事か唸っているのは龍驤である。彼女はふてぶてしくも執務室の机の一角を使って何やら書類を眺めている。彼女が何を眺めているのかは分からないのだが、一緒に置かれたファイルには「秘書官日誌」と書かれているので、それを読んでいるのだろう。つまりは勤務内容とは恐らく全く関係がない。今日は鎮守府全体で暇なので、提督も特に気にしていないのだろう。もうすでに指摘して、軽くスルーされたという可能性もあるが。

「……」

「……」

「……あ、いや、下がっていいぞ」

別に秘書官日誌は皆が担当時に目を通すものだから別にみられても構わないだろうがとか、それにしてもわざわざ時間を設けていちいち反応しながら読むのは悪趣味ではなかろうかなどと考えながら一度視線を外したことで妙な間が生まれてしまった。不知火は何となく提督の言葉を待ってみたのだが、それは提督も一緒だったようだ。

「はい、わかりました。失礼しま……?」

不知火が言葉を止めたのは、先ほどまで唸っていた龍驤が自分を見つめていたのに気付いたからだ。不知火は目線と軽い仕草で何事かと問いかけるが、龍驤からの反応はない。

「うーん……」

とおもったら、また先ほどのような唸り声を上げてわざとらしく唸り声を上げている。流石にそろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。話しかけることにした。

「なんでしょう、不知火に落ち度でも?」

そう言って龍驤に食い掛かる。なかなかの剣幕である。剣幕、というより実態は、やや不機嫌そうといった方が正しいかもしれないが。当の龍驤はというと、凄まれてもなお日誌を見つめて「ふむふむ」などとうなずいている。不知火の眉間がさらに深くなったところで、やがてなにかに納得したように不知火に顔を向けつつ口を開いた。

「いや、しらっちな……あんさん意外と頑張り屋さんやな」

不知火はその言葉を聞いて一度ふむ、といつもの調子でうなずくが、

「はい?」

やがて龍驤に言われたことを飲み込んだらしくすっとんきょうな声を上げた。眉間のしわもどこかへ吹き飛んでしまっている。

「いやぁ、最初はなんでもそつなくこなす優等生な子やなぁと思ってたんやけど。実は違うなぁ思ってな……あたりやろ?」

「い、いえ、何を根拠に」

つい反射的に、誤魔化す。しかし慌てたので、余計相手の確信を深めてしまったかもしれない。実際龍驤はにやにやしながら、こちらを見ている。

「いやぁ、気付いたら意外とわかりやすいでぇ、君。思えば戦闘中もちょくちょくキレとったしな。割と興奮するタイプでもあるんやない?」

「うっ……」

普通に考えて、別に頑張り屋といわれたからと言って気にするようなことではないと大多数の人間は思うだろう。。しかし不知火は完全に固まってしまっている。

――この話は、まずい。

世話焼きな龍驤に自分の性分がばれると面倒くさいとかそういう話ではない。この話を、いま、この場所でいわれるのがまずい。

この話を、提督に聞かれてしまうのだ。それは、まずい。

「いや、龍驤、その話は後で」

「え~なんでやねん、面白そうやのに。いつも言ってるやろ?自分を知って相手を知るのはコミュニケーションの第一歩やで?」

これだけ食い下がる割に特に何をするでもなくにやついているのは、おそらく不知火の気持ちを分かっているからだろう。要するにいつもの性質の悪いいじわるである。しどろもどろになりながら、思わず提督の方をちらちらと確認する不知火。それをにやにやしながら見つめる龍驤。幸い、彼は机の書類に集中しているようで、まだこちらのやり取りには深く関心を向けていないようだ。

「こほん、……いや、それは」

「失礼するぞ!」

威勢の良い声が提督室に響き渡る。やってきたのは長月だ。

「今日は不知火が秘書官だったな、明日の特訓の話なんだが」

その話も大分マズい。というか。

「な、長月、それは執務室では言わない約束では」

「おお、そうだった。すまない。では、外で待ってるから後で来てくれ」

あっさりと踵を返し外へ出る長月。なんとか事なきを得た。いや、得てない気もするが。一息ついて顔を正面に戻すと。

「うっ……」

これでもかというレベルに顔をにや付かせた龍驤が自分を見つめていた。

「ふっふっふ……なんやろなぁ特訓て。」

「い、いや、それは、その……。」

これはまずい。もう何がマズいのかわからないくらいにマズい。しどろもどろもここに極まれりという状態で不知火は固まっていた。もはや落ち度がどうとか言っている場合ではない。そこへ、

「あたっ」

「……いじめるのはその辺にしておきなさい。」

落ち着いた声が届いた。同時に龍驤の頭に、横から軽いチョップが下される。声の主は、提督である。

「なんや提督、折角おもろかったのにぃ。」

龍驤は半分すねたように、けれど半分満足したように口をとがらせて提督に口答えしている。

「て、提督。いつから……いえ、どこから話を……?」

「ん?、何か重要な話でもしてたのか?」

逆に聞き返されたことで、またしても返答に窮してしまう。どうやら提督はただ龍驤を窘めに来ただけのようで、特に何も聞いていなかったらしい。見事に墓穴を掘ってしまったようだ。今日は落ち度だらけである。

「しらっちー!いるー?」

元気な、しかし長月の堅苦しい物とは違う、明るく朗らかな声が提督室内に響いた。陽炎だ。そういえば待ち合わせをしていたのだった。助かった。

「この後の黒潮と三人で間宮行く話だけど時間になったからー……あれ?どうかした?」

「いえなんでもないです行きましょう陽炎」

不知火は、渡りに船とばかりにすぐさま陽炎の話に乗り、場所を移すことにした。

「あ、あれ?今日の報告は?それに、今龍……っちと話してたんじゃないの?」

大丈夫です、もう済みましたからと口早に呟きながらその場を後にする。……と、数歩歩いた所で提督にくるりと向き直った。

「では龍驤に提督、この後の予定があるので、失礼します。」

そう言って軽くお辞儀をすると、またくるりと踵を返してすたすたと歩いていく。

「お、おう……」

「律儀というかなんというか……やっぱ頑張り屋さんやな」

提督がやや状況についていけずに曖昧な言葉を返す横で、龍驤がそんな事を小声で言っていた。

「あっはははは!さすがベテラン!見る目あるわね!」

「……。」

間宮の一角。陽炎が他の3人が仲良くテーブルを囲み、甘味を食べながら談笑していた。……と、言うよりも、陽炎が一方的に笑いながら話をしていた。その笑い方はからりとした嫌みない物だったが、不知火は少し頬を膨らませているように見える。

「えぇと……そこまで笑わなくてもええんとちゃう……?」

そう言って憮然とする不知火と笑い声を上げる陽炎双方をなだめているのは、黒潮だ。

「だってむしろ今までそう思われてなかったてのが驚きよ私はー!」

その陽炎の言葉に、黒潮も特に反論の余地がない事を認めるかのように、優しく苦笑いした。それを見て、さらにふてくされたような表情になる不知火。

彼女たちは同じ艦種なのもあって、不知火が普段気を張っていることを知っていた。それどころか、時間外の特訓をしている時すらあることもある。ただ彼女たちは不知火自身の性分をよく分かっていたから、あまり深く首を突っ込むことをしてはいなかったのだ。彼女がその性分から物事に手を抜いて臨めないのだという事はよく分かっていたし、まだ無理をしている風でもない。だから彼女らはあえて、ただ見守ることにしているのだった。時折、不知火がつい頑張りすぎた時などには、黙って見ているのを我慢できなくなって茶化したりはしているのだが。今日も、ある意味そんな『我慢できなくなった』事案の一つなのだろう。この話題はしばらく続きそうである。

ひとしきり笑って息を整え終わった陽炎が、仕切り直しとばかりにテーブルに肘をつきながら口を開いた。

「でもなんでそんなに提督に知られたくないの?同じ艦隊のライバルに知られたくないってんならともかく。監督役の提督にくらい知られてもいいんじゃない。むしろ、そういうのは知ってもらっておいた方がいいと思うけど。」

「分かってへんなぁ、陽炎は。憧れの提督にそんなことできるわけないやんかぁ」

柔らかな笑みを浮かべて黒潮が言うと、不知火は心外だという風にかぶりを振った。

「いえ、私は別に、そんなつもりはまったく。」

黒潮は最初から冗談のつもりだったようで、悪戯っぽい笑みを浮かべただけでそれより深く追及はしなかった。不知火はそんな黒潮の様子にまたへそを曲げたように憮然としながら、ただ、と言葉を続ける。

「……ただ、折角私を艦隊に編成してくださったあの方に、自分が必死なところを感じ取られると何やら後ろめたいというかなんというか……」

そういう不知火の言葉を聞いて、ふぅんと陽炎は答えながら、背中をイスに預けて腕を後ろ手に組んだ。

「そっかなー。別に気にしなくていいんじゃないかなぁ。」

気にしなくていいとは言いつつも、不知火の話を無下に退けるつもりはない様子で、何かいい方法はないものかと考え続けているようだ。

「……ていうか、私はあんたと提督、結構似てると思ってるんだけどな」

ふと、そう呟いた陽炎の言葉に、不知火と黒潮がそれぞれ別の意味で反応した。

「ああ、それはたしかにそうかもしれへんなぁ。」

「でしょー?あの人もああ見えて影で色んな事してるみたいだし」

「なんか妙に頑固というか、そういうところもあるしなぁ」

「ああ、たしかに。」

「えと、ふたりとも?」

不知火は会話についていけず、なにやらわたわたした表情で二人のやり取りを追っている。

「ほーんと、誰かさんみたい」

「そやねぇ」

二人は意見を一致させると、不知火の方を同時に振り向く。

「う……」

何も言えなくなって押し黙る不知火。陽炎と黒潮はそれを若干面白そうに眺めながら、話を続けていった。

「というより今の艦隊編成の構成見たら、みなさんどこかしらそういうところあるかも知れへんねぇ」

「おー!確かに!うちの艦隊の謎の編成基準と独特な雰囲気の一端が垣間見えたかもしれないわね!」

なにやら話がやたら大きな方向まで発展し、艦隊の編成基準の話になり始めた所で不知火は話についていくのをあきらめた。もはやへそを曲げるのにも疲れたようで、体から力を抜いて、ため息をつく。

「……はあ。まあ、居心地が良いことは確かだけれど」

「ほらぁ。というか、むしろなじみ過ぎて心配になるくらいよねー」

「艦隊に入ったばかりの頃なんて龍驤はんが、不知火の影が薄くなってる~いうていろいろ呼び名を考えてくれてたもんねぇ」

「そうねー今ではもう定着しちゃってるけど。しらっち~」

「意図的に声色を変えて呼ぶのはやめて。本当にやめて。」

三人の話通り、『しらっち』という呼び名を考案(?)したのは龍驤だ。主力艦隊での行動も多い彼女は普段から身近な艦娘にニックネームを付けて読んでいたが、不知火には「ニックネーム舐めたらあかんで!」と特に熱心に呼び名を考えてくれた。その割には、最終的に決まったその呼称の『○○っち』という構造は龍驤が最も多く(悪くいえば、安易に)使っているニックネームのパターンだったりするのだが……。(因みにそのことを不知火に指摘された龍驤は、「あ~あ~きこえへ~ん」と、聞かぬ存ぜぬを決め込んでいた。)

「まぁ、でも影が薄いのは相変わらずかもなぁ」

「そうねぇ。なんか存在感どころか馴染みすぎちゃってるのよねー、思うに。」

そういう二人はまだ、からかい口調というか、不知火を茶化し気味な雰囲気だ。不知火はまたまたため息をつく。

「……ま、本人が居心地がいいのなら私たちがとやかく言うのも野暮だしね。その調子で頑張りなさいよ。相談ならいつでも乗るから。」

そう言って、不知火に対して優しく、けれど強く微笑みかける陽炎。不知火もそんな陽炎に、穏やかにうなずき返した。

そういえば、と黒潮が声を上げる。

「今日ここに来るのをみんなで決めた時、何か話がある言うてなかった?」

そう問われた不知火はしかし、静かに首を横に振った。

「今日は大丈夫。また何かあったらお願いするわ。……ありがとう、陽炎、黒潮。」

「そう?……ふむ。じゃあ、今日は、あたしのおごりね!」

「おぉー!さすがおねぇちゃんや!」

「ふっふーん。いいのいいの。たまにはね!」

「自分で『たまに』って言っちゃうのはどうなのかしら」

「聞こえないもーん。あ、間宮さーん、お会計ー!」

「ふふふ……」

そんなやり取りを交わしながら、上機嫌で会計を済ませる少女たち。

「……とにかくさ。」

ふと、声を上げたのは、陽炎だ。

「あんたはちゃんと、艦隊の一員になれてるから。あたしが保証する」

「うんうん」

黒潮もそれを肯定するように微笑んでいる。

「ええ。ありがとう」

不知火はそんな姉たちを頼もしく思いながら、言葉を返すのだった。

扉に手をかけようする前に、丁度扉が開いてその向こうから誰かが姿を見せる。

「あっ龍っち、お疲れ様ー!」

「なんやなんや、ずいぶんとテンション高いなぁ。」

やってきたのは龍驤だ。先にいた彼女らの雰囲気を感じ、顔をほころばせて声をかけてくる。

「久しぶりの甘い物会だったからね!」

「そうね」

「せやなぁ」

そう言って笑いあう三人に、龍驤も笑いかける。

「相変わらず中いいなぁ、自分ら。」

「ふふふ、まーねー!じゃあ間宮さん、ごちそうさまでした!龍っちもごゆっくりー!」

「では」

「またなぁ」

そう口々に言いつつ三姉妹は、仲良く間宮を後にする。さぁ、がんばって不知火の影を濃くするわよ!と張り切る陽炎、ややげんなりした表情を見せつつ、まんざらでもなさそうな不知火、そんな二人を笑顔で眺める黒潮。そんな彼女らに間宮は笑顔で手を振り、龍驤も申し訳程度に手を振った。

「もしかして、最後の方聞いてました?」

陽炎たち三姉妹が去ってから、彼女らを見送っていた立ち位置のままで、間宮が龍驤に話しかける。すると龍驤は少し動きを固めた後で、観念したように話し始めた。

「あー、ばれたか、すまん。……いやほんのちょっとなんやけど、入るタイミングをうかがってたらつい、な。きこえてしもうて」

龍驤はばつが悪そうに、頭を掻いている。

「ふふ。……で、どうかしら。ここであの姉妹に一言。」

間宮にそう促された龍驤は面倒くさそうに更に頭をバリバリと掻いて、呆れた顔で呟いた。

「まぁなんちゅうか。姉妹揃って真面目な頑張り屋さんなんやなぁ……」

そう言いつつもその表情は何処か嬉しそうな、まぶしいものでも見るような表情をしていた。

「わかった、提督にキレてみましょう」

「!?」

「おおー、荒療治や」

「キレキャラは素質が要る分一度はまればその後のキャラ付けは安泰よ!これだわ!」

「陽炎までそんな龍驤のようなことを言い始めるのですか……」

「ははは。偶にどこまで本気なんかわからんことあるよねぇ、陽炎」

「えー?なんでよー!」

そう言って笑いあう少女達の楽しそうな声が、昼下がりの道中に響いている。

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