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さよならで賞。未練なし。【地方広告と賞⑤】

最終回です。終わらせなきゃ。

というのはプレゼンで勝ったので、7月アタマの放映開始に向けてこれから爆速短距離走に突入するからです。もう6月になりますけどなにか?
7月ローンチ後からは長距離走に変わり、来年の3月まで。ということは、入金は来春か…(遠い目)。
では、前回から続けます。

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プレゼン日の夜、会社にかかってきた1本の電話。その主は私を探していました。いじわるな対応をした私はバツ悪く名乗り(そ。いじわるはいつでもダメですね)、何事かと次の句を待っていたら、私たちのDV防止啓発広報の案が採用されたと告げられました。

当たり前の連絡と思うでしょ?実はとても異例なんです。当日、担当者から直接、採用連絡があるっていうのは。いつもはFAXか手紙で、1週間後ぐらいに結果がきます。

電話は続きました。あなたのプレゼンで私たちは決めた。こんなに理解をしてくれているのかと涙が出そうになりながら聞いた。あなたと一緒に啓発をやりたい。

電話を切って、営業さんに連絡するもつながらず、営業フロアに行ってもほぼ人はおらず。

声は出さずにサイレント泣き(会社なので)

家に帰ろうと、電気の消えた正面玄関へと降りた階段の下で、思わず私はうずくまりました。分かってくれる人は絶対にいて、本当に何とかしようとしている人たちに私の企画が響いて、これから仲間としてやっていく。嬉しかった。いや、こんな言葉じゃ足りない。

そこからバタバタと部下を2人雇い(採用面接も私がしました。私のこの仕事のためだけの部下なのです)、広告制作やイベントや勉強会を一緒に行い、コピーも作ってもらってデザイン発注してもらい、新聞に毎日、小枠の広告を掲載しました。

みんなでDV予防啓発ステッカーを香川じゅうのトイレに貼りに行きました。そして何人かの人がそれを持ち、今日も、今日も、助けを求めに来られたという話を聞きながら、翌年3月に業務終了を迎えました。

終了のご挨拶に行ったとき、担当者さんが「これをもらったので見て欲しい」と言って、1枚の賞状を持ってきました。

それは知事からの表彰状でした。このDV予防啓発で具体的に人の命が助かった。その功績を讃えるものでした。同じく別のご担当者さんも表彰され、お2人とも栄転が決まっていました。

担当者さんは言いました。「自分の作った広告で人の命を助けることができた。とても手応えを感じる仕事でした」と。

私は、これが「効く広告」だと思いました。広告が効いて、誰かの問題解決に役立った。喜んでいるクライアントさんを見て、私も全身で嬉しかった。その仕事を、私だけで作ったのではないというのも良かった。自分1人だったらできなかった。

この時、賞に対する執着はあっさりと消えました。

実は部下とみんなで広告賞にも出したのです。箸にも棒にも引っかかりませんでした。でも私たちの広告は人の命を助けた。賞よりとても誇りに思いました。

ここを目指すなら、この仕事続けていける。そう思いました。

自分で「効く広告ってこれだ。分かった!」と実感するまで、長い年月かかったなぁ。21才でオグルビーの「効く広告」を(『「売る」広告』を読んで)知って、そっちがいいなと思い始めて、自分のものとして理解できたのが40才(長)。。。

賞が欲しかったのは、分かりやすい安定が欲しかったから。女性コピーライターは出産で何回かキャリアを中断せざるを得ない。そんな時に分かりやすい賞があったらまた仕事は来るし、安泰だと思っていたのです。

でも仕事に安泰なんてあるんでしょうか?常に全力で結果を出さないと次のチャンスは来ないのです。全力出したって結果につながらないこともあるというのに。

学生時代から仲の良い友人のご主人がアカデミー賞を取っているのですが(米国の映画のあのアカデミー賞ですよ)、この話を彼女にしたら「アカデミー賞をとっても企画にダメ出しはされるしボツにもなる。変わらない」と言っていました。誰も安穏としていないのです。

賞は賞で素晴らしいけど、それを目指すのが本当にやりたいことか?私は効くものを作りたい。そのためは企画だけじゃなく、もっと物事の上流から考える必要があると思いました。3月の業務終了の挨拶のとき、私は夏に仕事を辞めて東京に行きビジネススクールを受験すると決めていました。

退職する8月、もう一度、ご担当者さんに挨拶に行きました。その方は「何も渡すものないけど」と、胸に着けていたバッジをはずして手渡してくださいました。私たちは発注者・受注者を超えてチームでした。この安心感、1人じゃないから何でも出来る感じ。

仕事人生の前半は40歳で、こうして終わろうとしていました。

さて!今後どうしよう?

昔話はいったん終了したく思います。つねに懐古調ってどうなのさ?と思ってさ…。

今後はいまやってることとか、コロナの中のクリエイターについて書きたいなと思います。オンゴーイングの仕事は詳しくは書けないけど、7月オンエアの仕事はsolutions inc.のFacebookでメディア情報などを都度都度載せたいと思いますので、よかったらそちらも見てみてくださいね。

8月には友人と故郷でワーケーションをする予定で、その体験が面白かったら書きたいです。友人に一緒に帰省しようと連絡をしたら、このnoteも見てくれていたと聞きビックリしました。小3からのいちばん古い友人なのです。私たちの子ども時代っていったい何だったのか、次に進むために、私はちょっと振り返りたい。引き続き懐古調だけど。小さい頃にはなかったアートセンターにも行き説明もしてもらう予定なので(コロナ状況による)、新しいことを知る機会もありそうです。。

あるいは手術をしているかもです…(いきなりカミングアウトで失礼します)。ずっと拒否ってるんですが。だって治療の選択肢が、①合併症ありかもの手術 ②大量出血が日常となる薬物治療 ③うつ症状になる可能性が高い薬物治療 …の3つ。先生の推奨は①。笑ってしまったけど、どれもイヤに決まってるじゃろ!でももしするとしたら9月以降かな。これもある意味ワーケーション(違)。

ということでまずは短距離走に行ってきます。みなさまもどうぞご健康で。
長々とした文を読んでいただき、ありがとうございました。

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