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おっさんずラブ

 一年ほど前にnoteへ登録したことから始まったおっさんずラブへの想い。今はツイッターでつぶやくことが多いですが、映画公開に向けてまた、noteに自分の想いを書き留めたくなって来ました。一年経って自分の中で変わったこと、何ひとつ変わらないことがあります。以下は一年かけて推敲を重ねたおっさんずラブに対するレビューです。

テーマはいたってシンプル

 おっさんずラブはフィクションやファンタジーを踏襲したエンターテイメントです。今作の人気が爆発したのは、脚本、演出、キャスト、細やかな演技、音楽、効果、ちょっとした遊び心といった仕掛けががっちり嵌ったからに他なりません。それぞれのキャラの立ち位置のバランスが絶妙で、最終話の最後の最後まで計算し尽くされたセンスが光ります。

 マスコミは大雑把にLGBTの括りでひとまとめにしておっさんずラブを筆頭にしたがりますが、決してそうではありません。登場人物はゲイであることを悩んでいるわけではなく、好きな人や大切な人にどう向き合うかで悩んでいます。ゲイが壁や障害として描かれてはいません。テーマは至ってシンプルです。

 誰かを好きになっても自分の思い通りにならなかったり、理屈ではわかっていても諦め切れなかったり、誰かのために諦めるしかなかったり、誰でも心の葛藤や傷み、胸の奥底に澱みを抱えて生きていると思います。そこに共感する部分が大きかった。

同性愛ジャンルの流れを大きく変えた

 おっさんずラブは耽美といった文学的な映画やドラマの踏襲ではなく、女装や女性的な仕草もありません。どこにでもいるリーマンが真剣に恋する話です。だからこそ感情移入がし易く自分のことのように感動できました。今までの同性愛にありがちな閉塞的で背徳感の強かったこのジャンルの流れを大きく変えた功績も大きいです。

BLを内包した懐の大きな作品

 男同士の恋愛物ではありますが、公式が『おっさんずラブは少女漫画をベースにした王道の恋愛物であり、いわゆるBLの萌えを狙ったものではない』と公言しています。実際、その通りだと思います。BLモノを狙おうとすると、狙いが透けて見えて目の肥えている腐女子には見向きもされません。だからこそおっさんずラブは多くの一般の方の支持を受けました。

 いわゆるBL作品では女性が不在、あるいは虐げられた存在として扱われることが多いです。最近のBLは女性が一切出ないことが多いですが、そもそも女性が出て来ない、空気の存在だということが虐げられているということです。虐げているとは別に具体的に酷いことをされているという意味だけではありません

 おっさんずラブのヒットの要因のひとつに、登場するキャラがみな愛すべき存在であるということはもちろんですが、中でも女性が魅力的でとびっきり素敵に描かれていることにあると思います。これはかなり大きな作用です。BL作品の中でもちずと春田と牧のように不思議な良い関係のものもあります。ですがもともと女性が自身を投影している作品群なので、見たくないものを一切出さない作家も多いです。

 もっとディープなものは、自分自身、あるいは自身の傷の象徴に深く切り込む形で、執拗に女性を虐げる描写をする作家もいます。そこに救いを求めるか求めないかは、作風によって変わって来ます。たとえ歪んだ形であっても、虐げることで救われる存在があることも確かです。

 おっさんずラブがBL作品ではない決定的な点は、女性が愛すべき存在として描かれているところにもあります。それは脚本家が男性だということも大きな要素かもしれません。

魅力的な女性キャラの存在

 もしちずが単なる当て馬役で、牧から春田を奪うだけの存在であったなら、蝶子さんがヒステリックな妻の役で、部長と春田の恋の障害として立ちはだかるだけの存在であったなら、マイマイが口うるさいだけのおばさんであったなら、おっさんずラブはここまでのヒット作にならなかったと思います。

 おっさんずラブの世界は突っ込み所が満載で、リアリティに欠けている部分が多くあります。それをコメディタッチで描くことで、リアリティのない部分は些細なことだと思わせてしまう。とびっきり楽しくて、とびっきり奇想天外で、とびっきりハートフルなエンターテーメント作品です。

 だからちずが嫌な女になることはなかったし、蝶子さんがヒステリックな女になることもなかったし、マイマイが春田と牧のことに偏見を持たず、あはははははは!と豪快に笑い飛ばしてくれる存在になり得たのです。たとえそれがリアリティに欠けていたとしても、それも些細なことだと思わせてしまう。それくらい女性キャラが魅力的に描かれています。

 それぞれがそれぞれに『好きな人を応援したい』『好きな人には幸せなってもらいたい』そうひたむきに想う姿にこちらもまた、ちずにも、蝶子さんにも、マイマイにも、本当に幸せになって欲しい、そう思わせる作品でした。女性が自身を大切に思えるということは、至極当たり前なことのようですが、とても大切で幸せなことです

 それぞれのキャラが持つ力

 田中さんも言っていましたが、おっさんずラブのキャラたちはみんな単なるモブで終わっていないんですよね。それぞれにいろんな想いを抱いています。

 部長は春田と蝶子さんに、牧は春田と武川さんに、武川さんは牧に、マロは蝶子さんに、ちずは春田に、蝶子さんは部長とマロに、鉄平兄はちずとマイマイに、マイマイは鉄平兄に。そして春田は部長と牧とちずに。その『想い』をきちんと拾い上げてくれて、きちんと昇華させてくれて、だからそれぞれのキャラがみんな素敵でかけがえのない存在になっています。

 個人的に海岸でちずが春田に告白しかけてタイミングを逃してしまうシーンが凄く好きなんですが、田中さんの言う通り“ちず役”の内田さんがとても素敵で、BLではそもそも女性の影すらないんですが、単なる当て馬として切り捨てられる存在ではなく、ちゃんとちずを愛してくれているのがわかって非常に好感を持ちました。

 だから春田が思わずちずを抱きしめたのもわかるし、そこはそこで納得してるんです。牧を見るのが辛くてあまり見られないシーンではあるのですが、ちずの存在があって本当に良かったと思っています。同じように蝶子さんやマイマイの存在も救いでした。おっさんずラブはもちろん女性からの支持が多かったと思うのですが、脇キャラである女性まで惚れさせるなんて最強です。

夢物語だからこその意味

 おっさんずラブのドラマの世界では一切の壁はなく、みなが温かくてやさしいです。それは現実の世界ではありえない理想郷であり、夢物語です。だからこそ、この世界に心酔し、溺れ、抜け出せない人たちが続出したのです。それぞれが置かれた違う立場を越えて。