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男はじっくり見守るだけで十分だったのである

今日は旦那ちゃんからあることを言われた。

「そういえばみんなで家族会議したいって言って、夕食はみんなで食べるようになったけど、大して話してないよね」


はっ、たしかに〜。

そう、集めはするけど、話してないのである。


旦那ちゃんは

「今日は何食べたの?」

「今日はお友達は誰君?」

みたいな日常の会話をツッコんでいく。

さすがだ。


僕はまったくそんなことを思いつかない。

じゃあ、一体、僕は何のために家族会議がしたいなんて話をしたのか?を振り返ってみる。


みんなで一緒に対話したい…ワケではなかった

僕はみんなで一緒に対話がしたいわけじゃなかったんだろうと思う。

みんなと一緒の『時』を過ごしていたい。

ただ、一緒の空間にいて、みんなが話しているのを『眺めて』いたい。


そういえば昔の環境からそうだったなと思う。

実家での暮らしの時も、父と母が話すだけだった。


僕は一人っ子だったので、まったく話さない。

話しかけられたら話すけど、自分からはあんまり話さない。


今、思えばたしかにまったく喋らないな〜って思う。

ご飯が美味しくて「うまい」「おかわり」くらいしか言ってなかったかもしれない。それしか記憶がない(笑)


男はそもそも目的がない話はしないものである

そういえば、生物学的に男はそもそも目的がない話は苦手らしい。

旦那ちゃんが「今日何食べたの?」は正直、僕にとってはどうでも良い話なのである。


そこから広がることもあると思うが、実際は苦手なんだなと思う。

よくよく振り返ってみると、僕は自分が目一杯喋るか、自分が目一杯聞くかという目的を振り切った会話しか楽しさを感じていないと振り返っている。


自分のことを喋ってくださいと言われれば

2時間も3時間も延々と喋り続ける自信がある。


逆にこの人の話を聞いてくださいと言われれば

1時間でも2時間でも聞き続ける自信がある。


しかし、目的はないのでただ集まってくださいと言われれば

集まりはするけど、他人が喋っていれば僕からは喋りはしないかもしれない。


そうか、それが僕の特性なんだと気付くのが大事。

会話している姿を眺めるのが僕にとっての幸せなのだなと改める

僕にとっての幸せは旦那ちゃんと子どもたちが楽しそうに会話をしている姿。

これを見れれば満足だったのだ。


なんかイライラしている、

なんかギクシャクしている、


そんな状態が苦手で、とにかくみんなを話をさせて幸せだなって感じる状態を見たかったのかもしれない。


僕は他愛もない会話が苦手。(飲み会なら良いかもしれないけどw)

これも特性だ。それをそういうことなんだなと理解すること。


これが自分自身を理解することでもあり、生きやすくなる秘訣となる。


僕はADHDという特性を持っているが、すべてがADHDに当てはまるワケではない。

強い部分もあるし、弱い部分もある。

どこが強くて、どこが弱いかは試して、自分自身と対話するしか見えないのである。


こういう見えた時にこそ、自分の気付きをこのようにブログにまとめあげることで、よく自分を俯瞰して観察できる。


また新しい気付きを教えてくれた旦那ちゃん、素晴らしい問いをいつもありがとう。

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