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他人の子の理不尽な暴力にどう向き合うか

今日は保育園の父母の会。

小学校のPTA役員もやっているのだが、保育園は頻繁に集まる機会があり、非常にコミュニケーションが円滑だ。


僕は去年は4役と言いつつも、何もしなかったので、今回は親たちはコミュニケーションに集中してもらおうと思って、子どもたちの面倒をずっと見るということを率先して行っている。


他人の子どもたちと関わると、僕は徹底的にやられ役になる。

どうも、遊び相手としては殴りやすい、いじりやすい存在らしく、すぐ打ち解け合う。


ただ、子どもたちは度を越した理不尽な暴力を行ってくることがあり、内心、ちょっとイラっとしたりもしたので、なぜイライラとしてしまったのか、自分の未熟なポイントを見つけていこうと思う。


理不尽なパンチ攻撃

なぜか問答無用のパンチ攻撃がある。

まぁ、パンチくらいだったらいくらでもやってくれと思うのだが、それでも小学生間近の拳。結構痛い。


しかも、このパンチ攻撃は本当に容赦がなく、本気で殴り、股間をめがけてパンチする。

避けたりすればそれでも良いのだが、避けきれなかった場合、不意に攻撃された場合、さすがに悶絶するくらい痛いw


テンションを上げすぎてしまうと

「痛いよ!」と言っても止めない。

止めたとしても、振り上げた拳を降ろす先が見つからないのか、他の子を殴ったりする始末。


男の子はやっぱり、どうやら殴ることが面白いと思うらしい。

殴るのは自分がされて嫌なことだと思うので、やっぱり嫌なことは嫌って伝えなきゃいけないなとも思ったりもした。


理不尽ないじめ

これは結構クルものがあったのだが

「遊びたい」と男の子が近づいてきたので、

「どうぞ」と言って、どいた。


そしたら、その後ろにあるおもちゃ箱の中身をこっちに全部ぶちまけてくる。

「遊ぶんじゃないの?」

「もう遊んだ。拾え」


「僕が片付けるの?」

「そう。片付けろ」


「自分で片付けないの?」

「おもちゃが周りにあるでしょ。だから片付けろ」


言葉だけだとめっちゃ怖い感じですが、小学校前の男の子ですw

目的を聞いても答えなかったので、なんか後から冷静になって見てみると、なんか家庭で相手にしてもらえないことがあるのかもなぁ…なんて思ったりもしてしまった。

子どもだからと言っても、さすがにこれは理不尽だなぁと思ったり。


こういう子には遊び相手としてではなく、ちゃんと向き合って対話しないと駄目だなって思ったりしました。


理不尽な暴力は僕があまり好きじゃないって分かった今日

そんなこんなで今日はあんまり気分が乗らなかったりしました。

このイライラは記憶をなくした中学校くらいからあったりする気持ちなので、もしかしたら僕の中にも理不尽な暴力をしている時があるのか、理不尽な暴力によるトラウマがあるのかもしれない。


思い当たる節はたくさんある。

親からは理不尽だと思うサゲはたくさん受けてきたし、学校でも抵抗できない理不尽な精神的攻撃もたくさん受けてきた。


もしかしたらそういうことが無意識的にフラッシュバックしてしまって、イライラしたり嫌な気持ちになってしまうのかもしれない。

だからこそ、僕は昔からこういう理不尽な暴力は好きじゃないのかもしれない…。


理不尽とはなんだろう

よく考えなきゃいけないのだが、理不尽とは『抵抗できないのに暴力を受けている』ということだと思う。

今回のことで言うと、「他人のお子様を預かっていて、下手に出るしかない」ということだった。


でも、よくよく考えたら、他人のお子様を預かっていたとしても僕自身の尊厳を踏みにじるようなことを許して良いわけではないなとも思うし、逆にそれを無意識に子どもがやっているのだとしたら、それはしっかり教えたり、叱らなきゃいけないんじゃないだろうか。

他人の子だからといって、何でも許す…というのはなんか違う。

駄目なものは駄目だし、嫌なものは嫌なのだ。

逆に良いものは良いし、嬉しいことは嬉しいのだ。


それが第三者だからこそ見える、教育的視点なのかもしれない。

そういう点でいうと、下手に出ている先生は本当の意味で子どもと向き合えていないな…とも今日の気付きを振り返ってみて分かった。

今度からは駄目なものは駄目だとちゃんと伝える。

そう、心に刻んでおこう。

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