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今の若いモンはなっちゃいねぇ。って思ったら読んで欲しい

読書をしない派の僕でしたが、少しずつ少しずつ本を読む習慣ができてきました。

毎日数十ページずつ読み進めて、最近は論語と算盤にハマっています。


そこでこんなことが書かれていました。

昔の青年と今の青年とは、昔の社会といまの社会が異なっているように、異なっている。わたしが二十四、五歳のころ、ちょうど明治維新前の青年と、現代の青年では、その境遇や教育がまったく異なっているので、どちらが優ってどちらが劣っているといったことは一口にはいえないと思うのだ。ところが一部の人たちは、
「昔の青年は意気もあり、抱負もあって、今の青年より遥かに立派だった。今の青年は軽薄で元気がない」
などといっている。わたしは、一概にそうとばかりはいえないのではないかと考えている。

論語と算盤


まさに今の時代も同じことが起こっているのではないか?

そう思ったりするので、なぜそういう言葉を使ってしまうのか?ということを考えてみようと思います。


昔を懐かしむ

「昔は…」と言う方々は基本的に昔に良い思い出があって、そこを脳内にイメージするのではないかなって思ってたりします。

僕自身も昔のことを話すとき、童心に帰ったような気がして楽しいものです。昔語りができ、共感できる人までいるとさらに話は弾みます。


そういう昔を懐かしみ、思い出を美化してしまい、あの頃は良かったよね…と言ってしまうのかなと思います。

でも、結局、今でさえもあと20年もしたら「あの頃は良かったよね」と思いだしたりするんじゃないかなって思ったりしますね(笑)。


頑張った自分を認めて欲しい

「昔は…」という方は基本的に頑張ったことや、辛いことに耐えた自分がいると思っています。

どちらかというと、経営者や、地位の高い人がそのように言っていることが多く、自分を褒めて欲しい、認めて欲しいという気持ちが、ついつい比べる方向に向かってしまうのかなと思ったり。


今の時代の粗に焦点が合わさっている

「昔は…」と言っている方々は結構、お歳を召した方が多いです。(というのも、それだけの経験値がなければ「昔」は存在しないからです)

その分、今までの体験や、良かったことが積み重なっています。

そうすると、今の時代の課題や、問題点がよーく見えてしまい、ついつい『昔』と『今』を比較してしまうのかなと。


結局、いつの時代にも立派なやつはいるし、立派じゃないやつもいる。一部だけで判断しない

んで、結局なんですが、いつの時代にも立派なやつはいて、立派じゃないやつもいると思ったりしました。

前に『中国は悪い人が多いから…』みたいなものがありましたが、結局中国にも良い人はいるし、悪い人もいる。

日本にだって良い人はいるし、悪い人もいるのです。


それは『時代』においても同じことが言えるのではないかなって思ったりします。


『昔』に焦点を合わせるのではなく、『今』を生きる。

『今』に焦点を合わせればどんな時でも『幸せ』が見えてくる。
なぜなら、今この瞬間だけは楽しかろうが、辛かろうが『生きている』から。

だから、『今を精一杯楽しむ』ことを伝えることが、今の若い人たちにできることなのかなと思う今日このごろでした。


論語と算盤、教育にも結構切り込んだ内容があり、人として大切なことが書いてあります。ビジネスマンだけと言わず、ぜひ先生たちも読んでみてください。


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