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活字を見ない生活

最近とあるワークをやっている。それはずっとやりたかったことをやりなさいと言うワークだ。

毎日自分と向き合う時間を作り、1週間に1階は自分と言う存在とデートをする。

1週間に一回振り返りと、次の週に対しての課題が設定されている。もうすでにこのワークを始めてから4週間が経とうとしているところだ。

しかし、この4週目の課題がとてつもなく難しい。それは活字を見ないで1週間生活しろと言うものだ。 さらに活字を見ないだけでなく、テレビやラジオなどといった目や耳から入る情報も極力排除しろというのが課題だ。

この課題はとても厳しく私たちは文字と言う情報に支配されていると気付かされる。それと同時にインプット過多にもなっていることをすごく実感させられるのだ。


今回は活字と言うものに対して考えていきたいと思う。
ちなみに今回のブログは自分でタイピングをしていない。コンピューターに喋って文章を入力させている。とても読みづらい点もあると思うが、その辺はご了承いただきたい。

活字を見ないで生活できるか?

活字を見ないで生活できるか?と問われれば、できないこともないが、それはとても難しいというのが答えになるだろう。

何故かと言うと、僕たちは読書をするし、 こうやってブログを書こうとしている。ブログをしゃべって書いていると言うのは普通の人はやらない。

さらに、仕事の中でも見積書、請求書、領収書、マニュアル、説明資料 などなど、私たちは 機械的な文章に支配されている。見るなと言われてもどうやったって目に入ってきてしまう世の中の構造になっているのだ。

こうした時にその活字によって自分たちが支配されていると言う事はほとんど考えたことがない。これはとてつもなく面白いワークだと思う。


実際、今の今までタイピングによってブログを書いていた僕としては、こうやって喋って入力できると言うことに改めて気づかされるものだ。

ただ、喋って入力するにしても、ちゃんと入力されているかと言うのを確認するときにどうしても活字を見てしまう。そればっかりは避けようがない。

私たちは無意識に活字と言うものを取り入れてしまっているのだなと本当に思う。


インプットしないで生活できるか?

今回のワークは活字を読むなと言うもの以外に、テレビやラジオといった情報提供に関する情報を削ぎ落とせと言うのが課題である。

もちろん、この中にはYouTubeも含まれているだろうし、SNSなどのTwitter、Facebook、Instagram等も同様だろう。

私たちは毎日60,000回施行していると言われているが、本当に60,000回施行しているのだなと感じざるを得ない。

私たちはインプットせずにはいられない生き物なのかもしれない。しかし、こうやって他人の考え方や、価値観に触れてばかりいると、自分と言うものが全く見えなくなってきて、 どんどん自信がなくなっていくのだと思う。


多くの人は本を読めと言われてきた。実際僕も今であれば本を読むようになったし、本にはたくさんの人生が詰まっていて参考になることが多いのも確かだ。

しかし、僕がどうして本を避けてきたのかと振り返ってみると、自分自身の考えを見逃さないようにしていたのだなとふと気づいた。本を読まなかったと言うことで、自分は自分自身が体験したものを頼りにアップデートさせてきたのだ。


そういう点で言うと、僕のアップデート方法は多くの人とは異なっているかもしれないが、自分自身に正直であったと言うのは間違いないんだと思う。

文字と向き合わないことで、自分の本当にやりたいことが見える

文字と向き合わないことによって本当の自分が見えてくると言う課題らしい。これから1週間このようにしゃべって入力するようになると思うが、 新しい自分との出会い直しをすると思う。

そして今までやってこなかった、1自分が本当にやりたい事と言うのに向き合わざるを得ないかもしれない。それは自分が文字と言う媒体を通して今までは表現してきた。しかし文字以外でも表現できることをこの1週間は知れるだろう。

1週間後の自分が楽しみである。


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