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花火

思うがままに書き連ねた結果、とりとめもない文章になってしまっているかもしれません。

ハードルを上げすぎず、なんとなーくで読んで頂ければ幸いです。




長岡花火大会を見た。

大好きな人と。

「復興祈願花火フェニックス」を見た時、私は感情が溢れて、涙が止まらなかった。

涙が止まらなかったのは、単に花火が美しかったから、という理由だけでは無い。


1の涙 恐怖と悲しみ

長岡花火は、長岡を襲った空襲によって失われた尊い命への慰霊の意味が込められている。

…というバックグラウンドを知っていると、美しい花火が空から降ってくる爆弾のように見える瞬間があった。

空襲があったあの日も、人々は空を見上げていたのだろう。

これが全て爆弾だったら…と考えた途端、自分が体験していない事なのに恐怖が込み上げてきてしまった。

私は、悔しさと悲しさと恐怖に泣いていた。


2の涙 安堵

「復興祈願花火フェニックス」では、バックミュージックに平原綾香が歌う「Jupiter」が流れていた。

何か大きなものに包まれてるような安心感が、私の心を揺さぶった。

「私たちは誰も ひとりじゃない」

この歌詞が、平和、復興を願う花火に、ぴったりのメッセージだと思う。

私は花火が終わった後も、噛み締めるように

「そうだよね、ひとりじゃないんだよね、」と何度も呟いた。

なぜだか、私の心はじんわりと温かかった。
安心したのか、私はやっぱり泣いていた。


3の涙 隣にいる大切な人

わたしの隣にいる大切な人は、わたしと一緒にこの花火を見たい、と言ってくれた。

わたしがいい、とここまではっきり言ってくれる人は今までいなかったから、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。

花火を見ている時も、「一緒に見れて本当によかった!」と何度も何度も言ってくれた。

その優しさと、まっすぐな想い…

私は嬉しさのあまり、泣いていた。



花火大会が終わったあと、私の目は涙でパンパン、メイクも勿論ぐちゃぐちゃに崩れていた。


…この花火大会は、一生忘れられない出来事の一つになる予感がする。
というか、一生忘れたくない。

そして来年でも、何年か経った後でも良いから、もう一度この花火を見たい。

隣には、貴方がいて欲しいです。

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