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ショートショート: 表出主義

「『形あるもの』みたい 感じてるあなたへの想いに
      体が震えるほど 私ぐっときてるから」
             (aiko・ボーイフレンド)

表出主義


例) 僕はあなたを愛しています、というとき、
   僕は僕の愛を「表出」している。
   僕が僕の感じた愛を「記述」しているのではない。


授業中にその言葉が出てきて、教授の説明を聞きながら、少し気になったことがあった。授業の間中、ずっとそれについて考えていたけど、結局知りたいのは、私の答えじゃなくて、彼の答えだった。
だから私は、今度彼に会う時まで、ちゃんと覚えておこうと思っていたんだけど、そういう時は大体忘れているもので、思い出したのはかなり日が経ってから、彼が突然「いつもありがとう」って言ってくれた時だった。

「どうしたの急に」
「いや、なんとなく」
「あ、そうだ思い出した」
「何?」
「そういうさ、突然何かを言いたくなる時って、例えば好きって思わず口から出た時って、それは好きっていう気持ちを感じて、それがほんとこうギュンってきたから口に出たと思う?」
「…ちょっともう一回言って」
「あのね、前授業で表出主義っていうのが出てきてね、その考え方だとね、僕はあなたを愛していますって言う場合、僕が僕の愛を表出しているのであって、僕が僕の感じる愛を記述しているのではないんだって」
「ふむ」
「えーー、だからね、」
「つまり、愛してるよっていうとき、愛そのものが伝わっているのか、愛してるっていう事実が伝わっているか、あなたはどう思いますかってこと?」
「わかってんじゃん」
「どうも」
「で?どう思う?」
「うーん難しい」
「私はさ、もし表出の方だったらさ、つまり愛そのものが伝わってると考えるならさ、突然愛してるって言いたくなる、みたいなシュチュエーションが説明できると思うんだよね。心の中に貯めとける愛の量が決まってたとして、それがある時限界量に達して、そこから溢れた分が、愛してるっていう言葉に変わったんだよ、だから突然愛してるとか言っちゃうわけ」
「確かに」
「でもさ、それなら、突然じゃなくて普通に愛してるって言う場合でも、愛が外に出ちゃうわけじゃん」
「うーん」
「ていうか愛に限らず、例えば寒いねとか言うのもね、その考え方だと、寒いって言うことで感じてる寒さが外に出る。つまり寒さがましになっちゃうんだよ。そんなこと思ったことある?」
「それだったらいいのにね」
「でしょー、だからどうしたもんかなって」

彼は真剣に考え始めた。正直、私はここまで話を聞いてもらえたことでかなり満足していて、この論理の矛盾点はどうでもよくなっていた。こういう話に本気で付き合ってくれる人がいるという幸せで十分だった。
並んで歩く彼の顔を見つめる。彼は、考えるときはいつも下を向く。思いついたように顔を上げた。

「例えばだけどさ、愛してるって言う時に僕の中の愛が外に出たとして、じゃあ僕が君に対して持っている愛は減ってしまうけど、でも君は僕の発言を聞く前よりは僕の愛を感じるよね」
「うん」
「それだったらいいんじゃないそれで」
「なるほど?」
「だから多分、僕の中から出た愛は君の中に入ったんだよ」
「あー質量保存の法則?」
「うん、でも異なる存在の間の話だから、常に100%は伝わんないだろうね」
「あー電気抵抗的なね」
「そうそう」
懐かしすぎるな、電気抵抗とか。
しばらく無言で歩いていたが、また彼が話しだした。
私よりこの議論にのめり込んでいる。

「自分で言っといてなんだけど、やっぱ違和感あるな。僕は、愛してるっていう言葉はただ自分の気持ちを言い表すだけだと思う」
「そうだね。言葉って結局、感情を共有したいっていうシンプルな目的のためなのかもね」
「…あ、それでこの話を始めたのか」
「え?」
「いや、僕が急にありがとうとか言ったからかって」
「そう、それでこの話を思い出したの」
「なるほどね」
「で?」
「で?」
「どういうありがとうなんだい?それは」
「え、それ聞く?」
「いや、意味はわかる、こうふと待ち合わせして相手の顔を見てさ、ああ好きだなっていう、あの感じでしょ」
「じゃあ好きって言うだろ」
「あんたが?」
彼は一瞬無言になった。
「ていうかすげー自信だな」
「伊達にあんたの恋人やってないんでね」
「僕の恋人ってスキルいるんだ」
「そ、愛情表現が少なくても自信を失わないこと」
「それは遠回しな御指摘ですかね」
「嫌味、とか言わないのがあんたのいいとこよ」
「ありがとう、あ、これは普通のありがとう、僕の心でありがとうと感じたよっていうのを伝えました。」
「わかってるって」

なんだか恥ずかしくなった私は、彼の一歩前を歩こうとした。
すると彼が私の手を取って引き留めた。

「うおっ」
「いつもありがとうっていうのは、いつも思ってるよ。でもそんなにいっつもありがとうありがとう言ってたら薄っぺらくなるかなと思うから、言ってないだけ。けどさっきは、本当になんか言いたくなった」
「うん」
「これからもっと言うようにするから」
「うん…じゃあ、君がありがとうって言ってない時は、私が君の心の中をがんばって感じる。多分、私たちなら、言葉を介さなくてもありがとうを受け渡しできるよ、無抵抗で」
「…ただのバカップルの会話では?」
「バカで上等」


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