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【3.11から11年】避難生活を支えた白濁の秘湯

前回に引き続き、自分の災害の記憶を思い起こすために、2011年の東日本大震災後に執筆した原稿を紹介したい。新潮社のモバイルサイトに連載していたときのものである(2011年7月)。

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東日本大震災の発生により風評被害や自粛ムードに苦しむ「福島、宮城、岩手」の温泉をめぐる旅。福島県会津地方に湧く岩瀬湯本温泉をあとにして北へと車を走らせた。

目的地は、安達太良(あだたら)連峰の北端、鬼面山(きめんざん)山麓に湧く新野地(しんのじ)温泉。一軒宿の「相模屋旅館」は、「日本秘湯を守る会」の宿である。海抜1200メートル、ブナの原生林に囲まれた山の温泉だ。客室からは、福島市街が一望できるという。

新野地温泉には、ちょっとした思い出がある。3000温泉をめぐる旅の途中、相模屋旅館の駐車場に到着すると、見知らぬ男性に話しかけられた。

「次は、ここに立ち寄ると思っていました」。僕は旅のプロセスをブログで実況中継していたのだが、彼(Kさん)は僕が立ち寄りそうな温泉に先回りして、待っていてくれたのだ。有名人でもなんでもない、ただの温泉好きのブログを読んで、わざわざ会いに来てくれる人がいるとは思ってもいなかったので、感激したのを今でも覚えている。

「まずはともあれ、温泉に入りましょう」。あいさつもそこそこに、Kさんと一緒に館内へと向かった。秘湯を守る会のイメージが強かったため、もっと鄙びた建物だと思っていたが、ホテルのような立派な外観だ。

真っ先に向かったのは、男女別の露天風呂。スリッパからサンダルに履き替えて外に出ると、白い水蒸気がプシューという音を響かせながら、もくもくと立ち上っているのが目に入る。駐車場まで漂っていた硫黄の香りが、ますます強くなる。

そんな温泉パワーを目の当たりにしながら風情満点の木道を進んでいくと、木造の湯船が姿をあらわす。簡素な脱衣所と湯船があるのみ。客室から見えないように丸太などの木材で目隠しがされているが、開放感は抜群。大自然に囲まれたロケーションを堪能できる。

5人ほどが一緒に入浴できそうな湯船には、青みがかった白濁の硫黄泉がかけ流しにされている。僕は、以前「濁り湯は新鮮ではない証拠。透明な温泉のほうが鮮度はよく、効能が高いケースも少なくない」と書いたことがある。

しかし、実際ミルクのように白く濁った湯を目の前にしたら、「なんていい色をしているんだ!」と心が躍る。白濁の湯は、見た目だけで人の心を癒す力をもっている。

僕とKさんは、われ先にと服を脱ぎ、湯船に浸かった。湯船からあふれ出した湯は、そのまま温泉の川となり流れていく。見た目よりもサッパリとした印象の湯だが、もともと源泉の温度が高いので、数分も肩まで浸かっていれば、すぐに額から汗がにじみ出てくる。

湯船へ出たり入ったりを繰り返しながら、Kさんとあらためて自己紹介をし合う。Kさんは福島に住んでいて、温泉めぐりが趣味だという。温泉情報をネットで調べていたら、僕のブログにたどり着いたそうだ。

「温泉」という共通の趣味があるから、一気に打ち解けた。「あそこの温泉はよかった」「あそこの温泉には行ったか?」というような話が止まらない。結局、露天風呂で1時間くらい話し込んでしまった。

本来、僕は人見知りをするほうだが、湯船の中だとスムーズに会話ができる。仕事も地位も関係ない裸と裸の付き合いだからだろうか、はたまた温泉効果で心がリラックスしているからだろうか。少なくとも僕にとって、温泉はコミュニケーションを円滑にする「効能」もあるようだ。

そんなKさんとの思い出のある露天風呂は、3年前と同じく、美しいミルク色の湯が湯船からあふれ出していた。今回は、内湯にも立ち寄った。総ヒノキづくりの浴室は湯治場の雰囲気が漂っており、木のぬくもりが肌にやさしい。

震災後もすばらしい湯は健在だった。ご機嫌で湯浴みを終え、ロビーへと向かう途中、大広間の掲示板が目に入った。そこに貼られた紙には、「仮設住宅」「求人情報」「避難」といった文字が書かれていた。そのとき僕は、原発問題で避難を余儀なくされている福島県・浪江町の住民がここで避難生活をしていることを知った。

館内に入ったとき、「平日にしては、ロビーが人でにぎわっているなあ」と思ったのだが、実は、そのほとんどが避難をされている方々だったのだ。これが今の福島の現実。すばらしい温泉が、避難している住民の心を少しでも癒してくれることを願わずにはいられなかった。


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