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【3.11から11年】大震災でもびくともしなかった大正創業の秘湯

前回に引き続き、自分の災害の記憶を思い起こすために、2011年の東日本大震災後に執筆した原稿を紹介したい。新潮社のモバイルサイトに連載していたときのものである(2011年8月掲載)。

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6月中旬、福島、宮城、岩手の温泉をめぐる旅に出た。3泊目の宿は、福島市に湧く土湯温泉。福島市の中心部からは20キロ弱の距離に位置する山あいの温泉地だ。

15時過ぎ、温泉街に到着。清流・荒川沿いに大型の温泉宿が並ぶ中心街は、僕が想像していたよりも人の往来や駐車している車が多い。というのも、原発事故以来、風評被害によって観光客が激減していると聞いていたからだ。

しかし、よく観察すると、温泉街にいる人々は作業着姿の工事関係者が多い。しかも、自衛隊のジープが温泉街の中心を走り抜けている。道路にあふれかえっている車のほとんどは、「いわき」ナンバー。福島第一原発の避難区域の住民が旅館に避難しているのだ。

一見、にぎわっている温泉街だが、実際には観光客はほとんどいない。一般客は例年の10分の1だという。お土産屋のおばさんが、「この間、久しぶりに1日の売上が1000円を超えてうれしかった」と話しているのを聞いて、胸がしめつけられる思いがした。

今は、被災地から避難している人を受け入れることで、旅館はなんとか営業を続けているが、今後、避難している人々が別の場所へ移ってしまったら、たちまち経営の基盤を失ってしまう。すでに、震災以来、22軒の旅館のうち4軒が休業・廃業を余儀なくされている。こうした状況を救えるのは、原発事故の収束と観光客が戻ってくること。土湯温泉に平和な日常が訪れることを祈らずにはいられない。

この日、宿泊したのは土湯温泉街から、さらに4キロほど山奥に入ったところにある一軒宿。温泉好きの間では「秘湯」として有名な「不動湯温泉」だ。

宿へと続く道は、途中から未舗装の砂利道に変わる。宿の人が山を切り開いて通した私道だ。ダートの前半はわりと走りやすいフラットな道だが、後半は深い轍(わだち)や大きな穴が行く手を阻む凸凹道。何度も車の底をこすった末、ようやくたどり着いた。

僕は温泉めぐりの際にダート道をよく走るので慣れているが、何も知らずに訪れた人は不安になるに違いない。現に、宿で一緒になった客は、「夜、真っ暗だったので、本当に道が正しいのか、何度も宿に確認の電話をしてしまった」と話していた。「道がすごいですね」と出迎えてくれた女将に言うと、「こんな酷い道を走れば、あとで思い出になるでしょう」という答えが返ってきた。たしかに、「秘湯に来た」という妙な充実感がある(温泉街から歩道を25分ほど歩くルートもある)。

さて、宿は「よくぞこんな場所に建てたなあ」と感心してしまうほど深い緑に囲まれたロケーションにある。部屋の窓から見えるのは、ひたすら山の緑。建物は、大正時代に建てられた旧館が今も健在。東日本大震災でも、びくともしなかったそうだ。

温泉は5カ所。しかも、3つの異なる泉質が楽しめる。ロケーション重視の人には、沢沿いにある混浴露天風呂がおすすめ。ときに白濁するという硫黄泉で、森林浴をしながら湯浴みを楽しむことができる。が、様子がおかしい。湯は勢いよく投入されているが、湯船からまったくあふれ出していない。どうやら循環ろ過装置を導入したようで、温泉本来の個性は薄まっていた。白い湯の花が湯船に舞っているのが唯一の源泉の名残である。

炭酸鉄泉の「常盤の湯」、単純泉の「羽衣の湯」も循環しているようだ。実に惜しい。それでも、鄙びた風情の浴室は秘湯ムード満点。川のせせらぎを聞きながら「羽衣の湯」のぬるめの湯船に浸かっていると、時が経つのを忘れそうになる。

料理には、いい意味で予想を裏切られた。アクセスが悪い秘湯は、あまり料理は期待できないのだが、これがなかなかの出来栄え。山菜やキジ鍋など山の幸が満載で、とくに宿の池で飼っている鯉の洗いとあら汁は絶品。「鯉って、こんなにおいしかったっけ?」と思わず唸ってしまった。

翌朝、「羽衣の湯」で中年の男性と一緒になった。震災関連の仕事で福島に出張で来たが、原発事故の影響で福島市街のホテルは予約が一杯。やむなく、ここに宿をとったとのこと。女将によると、最近そういうビジネスマンが増えているという。ビジネスとは無縁の山奥の秘湯にまで、原発事故の影響が及んでいる。これが福島の温泉地の現実である。

※追記※
不動湯温泉は2013年に火事で全焼。2016年に日帰り入浴を再開したが、2021年10月に休業を発表。今のところ再開の予定はないという。


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