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デジタルの身体(しんたい)について

先日NEWS PICKSの以下の番組を見ていました。

番組のラストで落合さんがこのように話されていました。

デジタルの身体が足りない。
いやぁ、思ったより動物としての人類の身体がねぇ、足りないんですよね、デジタル側に
おかげで、だから例えば、さっきの非認知能力みたいなやつとかも、全部そうなんだけど、例えばオンラインデートとか行ってさ、だってオンラインセックスってどうやってやるの?って話じゃん。
いうて、婚活超大変だぜ? みたいな。
いうて子供の情操教育どうすんの?
空気どうやってテレカンから伝えんの?
みたいな話が。身体がねぇ、解像度低すぎんだよねぇ。
で、この問題に大体尽きてて。だからここを、デジタルの身体をどう回復するかは、すげぇ気になるんだけど、ここのトピックをしっかり話し合わない限りは、どこに付加価値が乗ってるかもたぶんみんな気付いてないんだと思うんだよ。

僕も今後現実をアップデートするには、身体への解釈もアップデートすることが必須だと考えていて、(下記投稿でも触れた)

コロナ禍で強制されることとなったリモートワークにおいても、身体性のなさが課題だなと感じていたので、今回はデジタルの身体について考えてみようと思います。

物理世界(フィジカル)の身体がもたらすアイデンティティとプレゼンス

デジタルの身体を考えるにはまず、物理世界、つまり僕らが身体を置いているフィジカルな世界における、身体の意義を振り返ってみます。

もっとも重要と思われるのは自己の認識でしょう。自分が自分であるという確信を持てること、つまりアイデンティティ(Identity)です。この世界において「私」と「私以外」をはっきり分けられるのは、身体があるからだといえます。

攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG の25話で、あるキャラクターが難民たちの記憶とゴースト(意識、自我のようなもの)をネット上に運び去る計画を語り、主人公が

彼らがネット上で個を特定しうる可能性は? 

と聞き、「わからない」と回答されるシーンがあります。意識や自我だけがネットに移動し、身体を失った時、自分は自分を認識し続けられるかというと、難しいのでは? ということでした。

この身体は間違いなく自分のものだと納得するだけの、自分の歴史と一体の(そして誰のものでもない)身体があってこそ、自分を認識できるのです。

そして自分の身体が存在するということは、他人の身体もまた存在します。これにより「あなたとわたしは別」という境界が生まれるので、自己の認識とともに他者の認識も可能になります。このような「あなたがいる」と誰かを感じられることを実存感、プレゼンス(Presence)といい、フィジカル世界では身体を通して当たり前に認識されています。​

道具としての身体

僕はUI(ユーザーインターフェース)デザイナーでもあるので、その観点で人を見ると、身体というのは自分が世界とやりとりをするためのユーザーインターフェースではないか? と考えたりもします。

自己の認識、他者の認識は、あくまで人同士における自と他を分けるものだが、自分の身体をUIのようにとらえると、自分を取り囲む世界を自分の都合の良いように変化させる(干渉する)ために、身体は道具として利用するものといえるでしょう。

人間の身体がどういう機能を持っているかは、NHK教育の遊育(あそいく)「基本の動作」が素敵にまとまっています。

特に重要な機能は、移動操作でしょう。

歩いたり、登ったりして、世界における自分の位置を移動させる機能と、物を掴んだり運んだり投げたりして、世界に対して変化を加える機能です。

機能的な観点とは別に、情緒的な観点で身体を見ると、コミュニケーションをとるための機能も持っています。これは自分 対 世界(物や自然)ではなく、自分 対 他者(人間)のための機能ともいえます。

顔だけでも、目を見つめる/目を伏せる/目を見開く/鼻が膨らむ/口が動く/名前を呼ぶ/思っていることを伝える/叫ぶ/微笑む/眉間にしわが寄る/睨む/涙を流す/顔色が悪くなる、といったものがあります。

まとめると、表情、声に分類されます。

他にも、手を振る/ジャンケンする/手を合わせる/手を握る/指でつつく/頭をなでる/肩をたたく/ジェスチャーで伝える/癖による動き、などがあります。

まとめると、指の動き、手の動きが主な分類でしょう。

身体の機能的な行為は意識的に行われるのに対し、情緒的な動きは無意識に出てしまうものが多いのも特徴的です。

これですべてかと思ったが、もっと無意識領域の身体の能力を忘れていました。センサーです。

センサーとしての身体

いわゆる五感というのはみなさんご存知だと思います。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の5つです。

ただ人間のセンサーがこの5つだけと考えるのは最近では少ないようで、Wikipediaの五感によると、20余りの感覚があるようです。

触覚に属するより詳細な感覚が多く、痛覚、温度覚、圧覚、位置覚、振動覚などがあります。他には内臓覚、平衡感覚などもある。言われてみれば確かに、というものが多いですね。

「太陽の熱さを感じる」「風の心地よさを感じる」「後ろから怒鳴られてビクッとする」などといった感覚は、これらのセンサーが同時に機能しあって可能になっています。

物理世界(フィジカル)の身体がもつ能力と役割

まだ他にもありそうですが一旦これくらいでまとめてみると、身体には以下のような能力・役割がありそうです。

1. 自己の認識(アイデンティティ)
2. 他者の認識(プレゼンス)
3. 世界における移動
4. 世界への干渉(意識的な機能の行使)
5. 他者とのコミュニケーション(無意識的な情緒の露出)
6. 外界と自分をつなぐセンサー(五感などの感覚)

仮想世界(デジタル)の身体 〜 現状

一方、デジタルにおける身体(を代替するようなもの)には、現状何があるのでしょうか。

たとえばSNSではアイコンというものがあります。要は自分を示すプロフィール画像のことで、フィジカル世界でのに相当し、みな自由に設定しています。本人の画像であることはまれで、風景だったりアニメキャラだったり猫だったりすることも多いですね。アイデンティティというには、自分との同一性は低そうです。誰か他の人とかぶっていることもザラですね。

自分の唯一性を主張できるのは、ユーザーネームということになります(絶対ではないです)が、フィジカルにおける姿・形で自分と他人を認識するような感覚とはほど遠いですね。かなり言語寄り(バーバル)な表現が、デジタルにおける自他の区別といえそうです。

姿・形という観点だと、大規模オンラインゲームであるMMORPGや、自分のキャラクターを着飾ってコミュニケーションをとるアバターチャットでは、自分のアバター、つまり身体を出現させることができ、細かくカスタマイズもできます。たとえば黒い砂漠のキャラクターメイキングはとても緻密です。他人との違いをある程度演出できそうではあります。しかし自分と瓜二つに似せる人はあまりいないでしょう。

そういう点では、Facebookが実名制を課すことで、デジタル・アイデンティティを構築しようとしたのは興味深いです。名前で知り合いを判別するようでいて同姓同名は多く、実際は顔写真で「あ、あの人だ」と最終判断をしているようです。

最近話題のリモートワークではどうか

リモートワークについても考えてみましょう。

Zoom や Google Meet、Microsoft Teams などのオンラインミーティングツールでは、顔を映し、声でコミュニケーションします。実際の顔だし、いつもの声なので、プレゼンスを強く感じられます。僕もこれらのツールを使って、毎週リモートワークをしていますが、仕事をする上でも大きな問題はなさそう…  ただ、なにか違和感があるのは確かです。

1つ言えるのは、全員が正面を向いて、顔をアップにして話していることでしょう。自分が話す時、その全員から注目されます。ミーティングというより、セミナーや講義に近いですね。この感覚は人数が多ければ多いほど強くなります。

Zoomにはブレイクアウトという機能があり、テーマ別に人を分けることができます。ディレクターは案件進捗について、デザイナーはデザインについて、エンジニアは開発について、といった具合に。全体朝礼が終わってから、それぞれ自分の島(チームのデスク)に戻る感じに近いです。これにより違和感はやや軽減されます。MeetやTeamsに同様の機能はないが、今後追従する可能性は高いでしょう。

もう1つオンラインミーティングでの違和感は、人と人の位置関係が単純化されている点にあります。

フィジカルな空間では適度な距離をとり、話しかけたい相手のほうを向き、距離に応じた声量で話すことで、スムーズな会話というものができます。これだけで距離、向き、声量という3要素があります。

もっと具体的にいえば、周りの人との距離といっても、正面に座る/横並び/斜め、といった位置関係がありうるし、話す相手を向くだけでなく、ホワイトボードのほうを向いたり(それを見て周囲の人もホワイトボードを見る)、手元の資料に目を落としたりする(それを見て周囲の人は、あぁ今は資料を読んでいるんだなと察する)ことで、いま何に対する会話なのか理解できます。これらをオンラインミーティングで表現することは、今のところ難しいでしょう。画面共有で資料の共有はできても、身体性の共有はできていません。

さきほど五感の話で位置覚を挙げましたが、それに関連して人には空間認知という能力があります。上記の課題をひと言でいえば、人に空間認知力を発揮させるだけの空間が用意できていないともいえるでしょう。

人を人らしく振る舞わせるには、フィジカルな世界で意識的に行っていたことは機能として提供してもアリですが、無意識もしくはセンサー(感覚器)によって外に発露していた行為も「機能」として意識的に選択させようとすると、途端に違和感が吹き出します。「いまは私はAさんを見ています」機能でフィジカルな身体を補おうとしても、結果は気持ちの悪いものにしかなりません。

この場合求められるのは、顔がAさんのほうをなんとなく向いていそう… という柔らかな身体性です。こういった点からはVR CHATはかなりイメージに近い気がします。とはいえVR CHATはオンラインミーティングに最適化されているとは言い難いですね。

冒頭の落合さんの指摘にもあったように、デジタルに高い解像度で、つまりフィジカルと同じような感覚をもたらす身体は、まだ部分的な実装にとどまっているといえるでしょう。

まとめ 〜 デジタルの身体の解像度を上げるには

デジタルの身体を持つのに必要だと思われる要素を、アバターと環境の2側面からまとめてみました。

1. アバターとして必要なもの

・自分自身の身体を細かくカスタマイズできること
他者から見ただけですぐわかる姿・形、特徴を持たせられること
・音声が口の位置から、向きを持って発せられること
・フィジカルでの身体の動きを反映できること(せめて顔と手)
・フィジカルでの表情の動きを反映できること(手動でもないよりマシ)

2. 環境として必要なもの

・人とある程度距離を感じる程度の空間
・位置覚、空間認知を発揮できるだけの空間
・テーマごとに分かれた部屋

以上、で締めようと思ったのですが

まとめようとしたら不意に浮かんだこと

今回フィジカルとデジタルの身体をざっと振り返ってみて気づいたことがあります。

それは目的に沿って、機能的に、意識的に、すべてに意味を持たせて実装している限り、デジタルの身体は進歩しないということです。

先日 .HUMANS 福家さんの以下のツイートを見て、これは面白そうだぞとDabelで沼倉さんの話を聞いていました。

沼倉さんは、コロナ禍による自粛で強制リモートワークになっている状況に触れながら、

今まで何の目的もなく話したりするのがすごく大事だったんだなと気づいた。これが「さぁTV会議に呼ぼう」で話したりすることでおかしさが生まれている。

といった趣旨の話をされていました。

リアルに集まっていた時は、「あ、ちょっとコーヒー買ってからいきます」とか「今日はなんかビシッとしてますね(笑)」なんてやりとりが場を和ませたりしますが、Zoomなどで「みなさん、こんにちは。では今日のアジェンダですが…」という無駄のない会話が、一見生産的なようでいて、みんなどこかで何かが失われているような…と気付いているはずです。

WEEKLY OCHIAI をよく視聴している僕としては、落合さんの「ペットは無目的に飼うよね」という話とあいまって、沼倉さんの話もなるほどなぁと納得しました。普段仕事において、目的を確認し、意味のあることに集中しようとばかりしていると、こういったことを忘れがちです。

実はフィジカルな世界では、ひどく感覚的で、偶発的で、無目的に物事が進んでいます。

朝、家の庭に出てンーーと伸びをしていたら、道を近所のおじさんが犬を散歩していて、目が合い、「あ、おはよーございま〜す」というような、意味もないようなやりとりが、フィジカルな世界ではむしろコアなのではないかと。

だからこそ今のビジネスの文脈では、フィジカルから発想されたデジタルの身体はいまだ未実装なんだと思います。「フィジカル世界をちゃんと反映したデジタルツールを作りたいんすよね〜。目的とか意味もないようなことができるような〜」なんて起案で、会社の予算が得られるはずもありません。

だから最後に付け加えるとしたら、こうなります。

3. 姿勢として必要なもの

・無目的で無意味でも、なんだか感覚的にイイとか、なんだか自然に感じるようなやりとりが、デジタルでも必要だと思うこと

これだけだと抽象的なままで終わるので、具体的に述べておくと、上で書いたようにンーーと伸びができるであったり、犬の散歩庭の草木へ水やりができる、といった実装がされていることだと思います。沈黙気まずさすら伝わるような身体性や環境を実装することだと考えます。

「そんなばかな」と思う人もいそうですが、僕は結構まじめにアリなんじゃないかと考えています。デザインの仕事をしていると、要ると思っていたものが要らない、逆に要らないと思っていたものが要るという場面によく遭遇します。

それくらい、人とはわかりづらく、面白い生き物だと思うのです。

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