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こころの傷とちいさな縁。やさしくそしてさりげなく。


昨夜のお客さんの話。
 
なじみのお客さんが連れてきた人はその顔に見覚えがあった。
少し前によく来ていた人だと思うのだが、なかなか思い出せない。
 
でも、その人はうちの店に来るのが初めてという感じのことをなじみのお客さんと話している。
 
僕の思い違いだったかなとおもいつつ、注文された飲み物を準備していた。
 
その人がウィスキーのことを質問したので、そのままお酒談義をしてしばらく一緒に会話をしていた。
 
やっぱり、見覚えがあるのだけどなあと思っていても、僕のことは知らない様子。
 
追加注文の飲み物を作っていた時に、なじみのお客さんが、その人を名前で呼んだのを聞いて、誰だかわかった。そして思い出した。
 
その人は、3年前ぐらいによく来ていた。
その人が所属していた課に僕の知り合いがいたこともあって、課でうちをひいきにしてくれていた。
その知り合いが話してくれたことがあった。とても優秀な人で、とても尊敬出来る人だと。
ほかの人からも同じような評判を聞いていた。
うちの店に来て、仕事の話をしているのを聞いても、とても熱血漢の感じで、僕も好感をもっていた。
 
しばらくして、年度末の人事異動があり、その課の人たちはバラバラになり、一部のひとはその後も来てくれていたが、その人は来なくなった。
 
後日、知り合いに聞いたところ、その人は心の病になってしまったとのことだった。
詳しくは聞かなかったが、おそらく「うつ」なのだろうと思った。
 
僕も身近な人に2人ほど、「うつ」になった人がいる。
ひとりは僕の兄で、もうひとりは昔の会社の同僚。
 
身近な人にいたことで、ある程度は「うつ」とはこんな感じと理解しているつもりだった。
 
でも昨夜のことで、昔のことを忘れるということがあるのだろうかと調べてみた。
 
ひとことに「うつ」といっても症状はさまざまだということも多少は知っていたが、身近な2人のひとは、性格も症状もよく似ていた。
責任感が強い人はなりやすいとは、「うつ」を解説した記事によく書いてある。
その人もきっとそうだったのかもしれないが、知り合いともいえないその人のことを簡単に考えることはできない。
 
ただ、よくうちに来てくれていたのに、店のことも僕のことも忘れてしまっていたことに小さなショックを覚えた。

調べてみると「うつ」には記憶障害が起きる人もあるらしい。
よくあるのは、うつ期のことを覚えていないということで、苦しかった時期のことをよく覚えていないらしい。

「この店、始めてきたよ-」
「えー前にも一緒に来たじゃないかー」
なんてことはよくあることらしく、まさにそのシチュエーションだった。

 
だとすると、仕事に熱血だったあの頃、その人はもう病に悩まされていたのだろうか。

人って、忘れることで自分を守ろうとするのだろうと思った。
うつは脳の機能の低下という言い方もする。
あまりにも多くのことを考えすぎて、パンクするのかもしれない。
 
  
「うつ」は大変な病気だけれど、とても他人からは理解されにくいともいう。
心に重くのしかかったストレスや悩みは、その人にしかわからないものでもある。
 
僕もこころが押しつぶされそうになって、人生に絶望したことがある。
幸いにして、僕の性格と妻の支えのおかげでこころの病にはならなかったが、身の回りのすべてを捨てて人生をリセットしてしまおうと思った。
でもそのことは誰にも内緒にした。妻以外の他人にそれを話すことはとてもできなかった。
病にはならなかったが、大きな傷になった。
傷はほとんど癒えたが、傷跡はごくたまにかすかに痛む。
 
絶望するほどの辛さの経験があることでそういう人のことは気になってしまう。
痛みの記憶がそういう気持ちを引き起こすのだと思う。
 
実際には他人には何もしてあげることはできないのだけれど、ただ、やさしく接することはできる。
ちいさなことだけど、また店に来てくれてたというこの縁のなかで
できるかぎりやさしく、そしてさりげなく、
そうしたいと思った。

 
 
「うつ」はきちんと治療すれば、ちゃんと回復することができるという。
実際、身近な2人はもとの生活を取り戻している。
 
昨夜の人も、そんな風に見えた。
連れてきたなじみの人が、その人を慕っていて、やさしく接している感じが僕を安心させてくれた。

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