恐れ・回避型の本質は、不安と回避のアンビバレント行動ではなく、恐れが強調された愛着スタイル
※今回の記事はラジオでも視聴できます。テキストを見ながらどうぞ▼
【お返事】一昨日のラジオの放送に対しての質問ですね。テキストのリンクを張っておきます▶
また、愛着スタイルについては、この記事をご覧ください。一般的に用いられる岡田尊司先生の定義をさらに絞ったものが、高橋和巳先生や私の定義になります▶
恐れ・回避型は、臨床経験上ではその名の通り、回避型に恐怖が上乗せされたような感じです。つまり不安型というよりも、回避のほうに親和性があります。上のソレア記事からの抜粋です▶
恐れ・回避型:U(未解決)型と同じように用いられることが多いが、回避型が強くなったものとも捉えることができます。後者の意味で用いるなら、回避型の亜流ともいえる。もともと回避型の人が年齢とともに恐れ・回避になっていく場合もあるように感じる。
恐れ・回避型の人は、そのままで年齢を重ねていくと、徹底的な人間嫌いになっていく感じです。
質問者さんの、「それほどクールでなく、人を求めながら恐れる」というのは、不安型か安定型のどちらかでしょう。
「恐れる」というところは回避しているというのではなく、不安型の特徴である、人の目が気になる=人の目を恐れている、ということもあるのです。相手が思い通りに近寄ってくれないので、スネて自分から離れていっているのです。相対的に回避しているように見えますが、スネているのです。
安定型でも人に敏感な人もいます。人に「恐れ」を感じることもあります。どういう背景の人かというと、思春期のつまづきを引きずって大人を苦労してやっている人々です。高橋先生的にいうなら、異邦人二世ですね。つまり親が被虐者の子どもです。異邦人二世は、基本、安定型愛着スタイルで精神的には成人期まで達しています。なぜなら、異邦人の親御さんは、成人期まで達しているからです。「かりそめの」成人期ですが…。
恐れ・回避について、もう少し突っ込んで考えてみましょう。
※この記事は、Twitterの質問箱に来た質問を深掘りして回答したものです。
■愛着スタイルについて語源を調べた
愛着スタイルを考える際、もともとの英語では何と言われているかをチェックしました。下記の →【〇〇】は、一般的に邦訳されている愛着スタイル名です。
Secure 安定している→【安定型】(自律/安定)
Anxious (also referred to as Preoccupied) 不安(気もそぞろ)→【不安型】あるいは【とらわれ型】(不安/アンビバレント)
Avoidant (also referred to as Dismissive) 回避する(拒絶する)→【回避型】あるいは【愛着軽視型】(拒絶/回避)
Disorganized (also referred to as Fearful-Avoidant) 無秩序(恐怖におののき回避する)→【恐れ・回避型】(未解決)
ここで注意してほしいのは、アンビバレントな要素が出てくるのは、不安型であるということです。「見捨てられるかもしれない」という不安の中で、怒りと恐怖の両極の間を感情が、高速で行ったり来たりしている状態です。
■恐れ・回避型の真実とは?
恐れ・回避の本質は、子ども時代の Fearful-Avoidant な体験です。つまり「恐怖におののき回避する」という体験です。そこにはアンビバレントな感情はありません。あるのは強い恐怖の感情のみです。無秩序なふるまいをする親に対して、子どもは予測不能になって恐怖心を発達させ、それが愛着スタイルにまでなったものを「恐れ・回避型」といいます。
このスタイルをもった大人は、混沌とした(無秩序な)子ども時代を送っています。つまり被虐者が獲得していく愛着スタイルと言えます。被虐者の大半は回避型ですので、回避型の亜流と考えることができます。
しかし、この無秩序型は、一般的には(なぜか)不安型と回避型の両方の特徴が強まったものとされています。恐れ・回避型(不安/回避型)と呼ばれ、「親密を望みながら、親密を避ける」というアンビバレントな混乱状態と言われています。
ただ、アンビバレントは不安型の最も顕著な特徴でした。不安型=とらわれ型(不安/アンビバレント)です。見捨てられ不安の中で、怒りと恐怖の感情が高速でスイッチングする、分かりやすいアンビバレント行動です。ではいったい、恐れ・回避型のアンビバレントとは何なのでしょうか?
◇恐れ・回避型のアンビバレントとは何か?
不安型(親密になりたい)や回避型(離れたい)は、親密への態度が明確です。恐れ・回避型はそうではないといいます。「親密になりたい、離れたい」という混乱状態とはいったい何でしょう?
この感情は、実は、通常なら混在不能なものなのです。もしこれらが混在可能ならば、それはアンビバレントな葛藤ではなく【場当たり的な行動】とみたほうがよさそうです。先に、Fearful-Avoidantの説明で、「子どもが予測不能になる」と解説しましたが、そういう親の【場当たり的な行動】です。
すると、このアンビバレントのようにみえる(葛藤ではなく予測不能行動)状態は、親の精神年齢の低さを表わしており、恐れ・回避を示す人には軽度知的能力障害の問題もあるかもしれません。一般的に広まっている「不安型と回避型の両方の特徴が強まったもの」は、軽度知的能力障害かもしれないのです。
しかし、Fearful-Avoidantとは、「恐怖におののき回避する」わけですので、回避が強烈に強くなった被虐者の心理を表わしているとみるのが自然でしょう。
以上から、この現状では、「恐れ・回避」というスタイルには、軽度知的能力障害と回避型が混在していると考えられます。
現在の恐れ・回避型の解説には、軽度知的能力障害と回避型が混在している。
ソレアの解説では、恐れ・回避型はアンビバレントではなく、Fearful-Avoidant を採用して、回避が強まった状態であるという見方を取っています。
これが、恐れ・回避型の、いまのところの私の結論です。
■なぜ親密さの問題が誤解されるのか?
そもそもなぜ、
「恐れ・回避型は、親密を望みながら(不安型)親密を避ける(回避型)というアンビバレントな状態である」
というミスリードが起こるのか?それも、愛着の専門家と名乗っていてもそうなのです。その原因は、親密さに対しての捉え方が甘いからでしょう。
多くの一般的な人々は、基本的信頼感という親密が前提となって人生をスタートしています。それがあって当たり前の状態で生きています。普通の人にとって親密とは空気のようなものです。別に特別に意識するものではないのです。そういうものがないことについて実感として想像できません。これが、「不安と回避のアンビバレントもあるよね」という認識になっているのです。
回避型の人の「親密が怖い」というのは、基本的信頼感が育めなかった現実の上にあるもので、空気がほぼない状態、生きられるかどうかの瀬戸際を生きている状態です。そういう状態ですから、そもそも親密を望むこと(不安型)とは共存しないのです。
■まとめ
恐れ・回避型愛着スタイルは、不安と回避の両方の特徴が強まったものではなく、恐れが強まって回避するスタイル。典型的な被虐者のスタイルである。
現在言われているような恐れ・回避型の説明では、軽度知的能力障害と回避型の人々が混在してしまう。
◇ラジオのおやすみ談話室:春の気配。春一番と春雷の季節です。
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