除夜の鐘を打ち鳴らせ

久々にログインしたら、noteのUIがだいぶ変わっているし、コンテンツがめっちゃ増えてるし、ビックリしてる。

あけまして、おめでとうございます。2022年よ、こんにちは。
なんか続けられることしたいよね~、と思って、noteを開いたけれど、続けられるかしら。とりあえず、一行でもいいから、毎日書いてみようかな。(そんな人、いっぱいいそう)

2021年の後半、ずっと煩悩に支配されていた(わーさっそくダーク)。で、この心の穢れを振り払いたいのに、できずにいた。理由は分かっている。でも、どうしても支配されちゃっているのだ。

2歳に満たない子どもが愛おしすぎてたまらないのに、限られた時間でしか仕事ができない状況に不満を募らせたり、一生をかけてもいいほど価値あるテーマだ! 自分はこれがやりたかったんだ! という仕事を見つけることができたけれど、金銭面がついていかないし、それをカバーする時間が持てない。お金と時間に完全に支配されている。さらに、自分を卑下するのが趣味ですってくらい肯定的になれない自分に「いいじゃん、肯定しろよ!」「いいえ、私なんて結局こんなですから」のエンドレス脳内トークで、大抵「私なんて」が勝つので、いいかげんにせい、と思う。

そんなこんなで、だいたい気分は滅入っていた。スマホがおすすめしてくる占いばっかりみていた。それをあてにして、裏切られて、また気が滅入っていた。

昨日、なんとなく「ゆく年、くる年」をつけてて、除夜の鐘がボーーーンとなったり、静寂の大仏や観音像を映したり、しみじみした声のアナウンサーがどこどこの寺や神社の実況中継しているのを聴いていて、ふと、あ、神さまはちゃんと願いを聞き届けてくだすってじゃないか!?と、思ったのだった。

1年前、思い返せば、初詣の願い事は、小さな我が子が健やかに育ちますように、家族全員元気で、大きな災いなどありませんように、だった。保育園に入れるかどうかもあやふやだったので、仕事がんばります、という誓いは特にしてなかった。

「叶えましたけど? まだご不満か?」そう怒られても仕方ないほど、完全に叶えてくだすってた。仕事についても後づけの勝手な願望にもかかわらず、一生のテーマにしたいっていうものに出合えた訳だし、出産前に担当していた仕事が戻ってきたり、いろいろ声をかけていただいたのだから、万々歳じゃないですか。

そして、SNSを見ていて、ふ~ん、充実してていいな~、とちょっとだけ羨ましくなっていた投稿の主は、独身だったり、子どもがいなかったり、子どもが大きくなって自分の時間が持てるようになったり、っていう人ばかりなのにやっと気づいた。状況が全然違うんだから、今の私と比べても仕方ないんだった。ていうか、この状況のなか、結構がんばったほうじゃない? ようやく、そう振り切れた気がした。

金と時間に支配され、隣の芝生ばかりみて、完全に欲の化身だった2021年の私だったけれど、ギリギリ年が明ける前に気づけてよかったです。ゆく年、くる年、つけててよかった。除夜の鐘が頭のなかでガンガンなってた。

3日、いつもの神社に初詣るので、しっかり2021年の御礼をしてきます。スマホの占いを見るのは、ほどほどにします。

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