ヤングケアラー(続)

昨日に引き続き、今調べている「ヤングケアラー」について、自身の頭の整理もかねて日記にしたためたい。

ところで、今でこそ未成年が介護を担うことについて問題提議がされるようになってきているけれど、戦前や戦後まもなくまでは、家族間に要介護者がいる場合、家族がケアするのはごく当然であり、もちろん未成年であろうと介護を担っていたはず。それは、大方が“大家族”であり、ケアできる家族がたくさんおり、さらに地域が共同体として機能していることで、隣近所が気に掛け合い、負担軽減されることもあったはす。

だけれど現在は核家族化が進み、特に都会では隣近所に誰が住んでいるか知らないことが多々。「〇〇の婆さんの様子がおかしいから、家族に知らせておこう」ということも、なかなか難しい状況である。
そして、共働きが一般化していることや、ひとり親の増加も、ヤングケアラーを増やす原因になっているという。

『ヤングケアラー 介護を担う子ども・若者の現実』の著者である澁谷智子さんによれば、高度成長期以降、子どもとは自分のことに時間やエネルギーを使える年代である、と社会的な認識が一般化・定着し、それを前提に世の中の仕組みが構築されているため、自分だけのことができない子どもたちが「ヤングケアラー」という言葉で認識されるようになった、そういう社会状況の変化があるという。

たしかにそうだな、と思う。だから、幼くも介護を担う人がいるということが、人も社会も意識外にあったし、そもそも介護と認識できる子は稀だし、辛いかも……と思っても話せる人がいないから、表面化してこなかった。

社会問題って、一方向だけでなく、多方向のアレコレが積み重なって起こることが多いけれど、ヤングケアラーの話もまさにそんな多方面の課題の積み重ねからきている。

あと、ヤングケアラーって、どこからそう線引きされるのかが難しいという課題も。お手伝いと介護の境界線はどこなんだろう? 率先してやっていても、ヤングケアラーとして問題視されるとしたら、ちょっと違うと思う。
私も子どもの頃、介護はなくとも、いろいろ手伝わされたし、むしろ進んでやることもあったし、弟のことを気にかけたり、一緒に遊ぶこともあった。
ヤングケアラーと呼ばれる人たちのなかには、もちろんやりたくないけどやらざるを得ない人もいるだろうけど、手伝いたいと思う人もいるだろうし、障害がある兄弟を見守ったり、面倒をみたり、一緒に遊ぶことが喜びだったりする人もいるはず。だから一概に、幼くも介護を担うことのすべてが問題であるというわけではないと、個人的には思っている。

先日、知り合いが話した言葉を思い出した。

「江戸時代、ちょんまげに刀を差すのが常識だったけれど、今それをしたら非常識だよね。“常識”って、時代によって“非常識”になるんだ。常識は変わるもの。じゃあ“普遍”ってなんだと思う? 人間がサルとかもっと小さな生物だったときから自分の子どもへ愛おしい気持ちを抱く。それは今も昔も変わらないよね。それが普遍なんだ」

昔、家族を介護することは常識だったけれど、だんだん非常識の方向へと向かい始めている。だけれど、家族を思う気持ちは普遍である(皆がそうではないかもしれないけれど)。常識か、非常識か、白か、黒か、じゃなくて、そういう子どもたちが一定数存在することを知り、家族だからサポートしたいという子がいれば、その気持ちは大切にしつつ、なかには介護をものすごく負担に感じている子がいるかもしれないから、そういうのを打ち明けられる場(お悩みコールセンターとか窓口みたいなもの?)が一般化され、認知化されていくといいなと思った。

ふと頭に浮かんだのは、妊婦さんや産後ママには、心のケアをサポートしてくれる機関があったり、自分の時間を持ちたいときの子どもの預け先がさまざまに用意されていたりと、市区町村ごとにサポートが充実していたりする。割と気軽に問い合わせできる仕組みづくりができているなあと、出産の経験を以って初めて知った。そんなイメージで、必要なときに、必要なケアがうけられるヤングケアラー支援が広がれば、困っている子どもたちが少し楽になれるのではないか、と、今の時点で思ったのだった。(調べるなかで変わるかもしれない)

菅総理の時代、菅さんが「ヤングケアラーを支援する」という話を国会で話したこともあり、一部の自治体では支援策が始まりつつある様子。とはいえ、この課題は明るみに出始めたばかりで、まだまだこれからやることがいっぱいある。しかし! 団塊世代が70歳を超えた今、要介護者は激増するだろうし、少子化で、ひとり親も増えてとなると、ヤングケアラーは増える一方で、早急に課題解決策が必要な案件である。案外、他人事じゃない。

まずは、ヤングケアラーという子どもたちがいるんだよ! ということが、もっと一般認知されますように、と願うここ数日間でした。というか、知らないだけで、私の身近にもいるかもしれない。

まとまってないけれど、いったんこれでおしまい。

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