讃岐篇8 「幕屋」に迎え入れられる

「ああー、そうかあ、神様、やっぱり僕、神父になるために四国遍路に導かれたんですかねえ。これからどうなるんだろう。」と問いかけながら、桜町教会を後にする。


そうだ、『生命の光』にあったO様のところに、五日前に連絡を差し上げたきりだった。

高松駅で、O様のところに再び電話する。

こちらが、電話もない遍路の身とはいえ、随分いきなりすぎて無礼で自己中心的なオファーだ。

にもかかわらず、O様は快く快諾してくださった。

夕方の仕事終わりに駅に迎えに来てくださるそうだ。

「一体どんな方々なのだろう。」とドキドキしながら、高松市内を歩き回って待つ。


コンビニで『地獄先生ぬ~べ~』や『妖怪ウォッチ』を立ち読みしたり、書店で尾木ママの挫折だらけの半生記を読んだり。

どうも変な脳の癖かもしれないが、エンタメで妖怪や見えない世界のことがたくさん取り上げられるようになると、「人類の意識が見えない世界に向けられているようになったのかなあ」などと思ってしまう。

尾木ママの本で、「子どもたちのために愛情かけてやったことが学校に否定されてカチンと来た」「周りの空気に染まるまいと本ばかり読んでいた」なんていう箇所を読めば、「ああ、俺もいっしょだ!」なんて自分を重ね合わせたり。

お金も節約したいので、どこかの店に行くわけにもいかず、夕方までずーっと時間をつぶしていた。

夕方に、

「すみません、お電話くださったお遍路の方ですか?」と優しそうな男性の方が私に声をかけてくれた。Oさんだった。

これが、結局私の運命を変えてしまう出会いとなった。

この男性の方には、私の結婚式にもお呼びさせていただいた。


Oさんの自宅に、見ず知らずのただ『生命の光』を読んだというだけの青年が無礼にも押し掛けてきたのだが、一家は親戚のように笑顔で私を暖かく迎え入れてくれた。

「はじめまして。ようこそいらっしゃい。」

と、目を丸くしつつ、笑顔で迎え入れてくれた奥さん。

そして、三人姉弟の末の男の子だけが家に。


「キリストの幕屋」という内村鑑三の流れを引く無教会主義の一派。

「幕屋」とは、ユダヤ民族の移動式の簡易礼拝所のことをさす。

「無教会主義」なので、「教会」とは自称しないし、大きな教会堂も作らず、洗礼もなければ聖餐式もない。

ただ、聖書に学び、主に祈り、共に暖かい交わりを持つ。

そこには、私のそれまで触れたことのない異なった形のキリスト教の姿があった。

それでも、形は大きく違えど、聖書とキリストの信仰の根本においては何ら変わることないのだという感覚も覚えた。


十字架は用いず、そのかわりに、ユダヤ教のシンボルである七つのろうそくが置かれている。

「あの、これ、なんていうんでしたっけ。」

「メノラーですね。」

「へええー!」

大和民族の魂を大切にする一方で、聖書を生んだイスラエルとの関係もとても深い。つまり、「民族」の魂というものをとても大切にしている。

言わずもがな、キリスト教の母体はユダヤ教であり、ユダヤ教を抜きにしてはキリスト教は語りえない。


そういえば、ある本を頂いたことがある。

発達障害や精神障害者の開いた個展でその場に居合わせた三人でお茶をしたのだが、全員がクリスチャンで、霊的な感覚をしっかり持っている方だった。

そのうちの一人にいただいた本に、ユダヤ教と日本の古神道には共通点があり、イスラエルの失われた十二支族がシルクロードを通って日本にやってきたのではないかという説があった。

「日ユ同祖論」と言い、のちに、賛否説両方調べてみたが、真相は不明なものの実に興味深い。

そんなこともあってか、旧約聖書やイスラエルについても興味を持っていたところだった。


筆で力強く書かれた「エホバは生く。我はただその前に一人立つ。」という標語。


家庭がそのまま「祈りの場」となっていたことに感動を覚えた。

しかも、チャイムが鳴ったら、その間の30秒はおしゃべりや作業をとめて、手を合わせ祈りのひと時を持つ。


創始者である手島郁郎氏の生い立ちのビデオを拝見させていただく。

ここで初めて、「ああ、あの講話を書いた手島郁郎という方はこんな日本人離れした髭のお顔をしていらっしゃたのか。」と顔のいでたちにも感動した。


手島氏が、元教員であったこと、事業者として成功を収めていたこと、GHQの執政官に追われ阿蘇の荒野の中で必死に祈って応えられ、独立伝道を志したこと、すべてをなげうって伝道しているのに誰の心にも響かない。「神様、もうダメです」と呻き声をあげたところ、聖霊が臨んでその場にいる人々に回心(コンバージョン)の体験が起こったことなどを知った。

「ああ、私も四国の荒野の中で孤独と恐怖のなか叫ぶように祈った」と共感した。



翌朝早く、居間でメノラーを灯し、祈る家族三人がおり、私もその場で共に祈った。

私が、初めて出会った「幕屋の祈り」だった。

教会でするような、静かな、考えられたような祈りではなかった。

三人とも、感情を爆発させてすべてをぶつけるようにして大声で叫んでいる。涙が流れることもある。

もちろん、読み上げる原稿はない。

「ああ、こんな風に一目はばからず祈っていいんだ。」

というのが、驚きと感動を覚えたことだった。

「自分の言葉で自由に祈っていいよ。」

と促され、最後に、私も祈ったが、いかんせん初めてなもので感情が付いてこない。いつもの癖でつい頭でいろいろと言葉を考えてしまう。

カトリックの流儀で十字を切ったり、自分で何を言っているのか分からなくなってしまったり。

駆け出して、転げてしまったような祈りで終わってしまった。

とはいえ、繰り返しているうち、どうも、幕屋の祈り、初めと終わりの「テンプレ」はあるのがわかってきた。

「天のお父様」と親しく呼びかける。ここには、「御愛の」「今も生きて働きたもう」「魂の」「贖い主でありたもうイエス・キリストの」などといった形容詞がつく。

まずは感謝。そして、最後には、「イエス・キリストの聖名によってお捧げ致します。」と締める。

特徴的なのが、共に居合わせて祈る人々が、「お父様」「アーメン!」と声を合わせることだ。

そうした形はあるにせよ、これが「本気の祈り」なのか、と。

教会では、基本的に共に祈る時は黙ってこうべを垂れて沈黙のうちで心を合わせる。


「驚かなかったですか?初めて見た人みんな驚いてドン引きされるんですよ」と息子さんに聞かれる。

「いえいえ、こう祈っていいんだ、と感動しました。」



その日は、遍路ではないが、仏生山や田村神社に連れていっていただく。

お弁当におにぎりをいただく。

本当にありがたい。


金曜日であったので、「シャバット」が開かれる。

「シャバット」とはユダヤ教の安息日のことで、その日に入る時に一家で集まって祈りとパーティを捧げる。

幕屋でも、客人が来るときはこのシャバットで出迎えることが多い。


「とてもユダヤ教に近いあり方で、かつ民族の精神を大切にしつつ、キリストを主と崇めているのだな。」と感じた。

O家には、近くの別の家族も加わり、子どもたちと楽しく遊ばせていただいた。

また、同じ年齢の青年とも知り合いとなり、熱く語らいが出来た。


まさか、四国遍路の道中の最後にして、こんなに暖かい交わりに迎え入れていただくとは思いもよらなかった。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?