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7がつ14にち

今日はノンバイナリー可視化の日!

私が自分の「違和」に気付いたのは、中学生の時。部活の先輩に憧れていた。私が男だったらあの人をほっとかないのにと思っていた。
今なら、私が女でも男でもどっちでもなくても、彼女が彼でも彼女でもそのどちらでもなくても、好き!という気持ちを大切にできたのになぁ。

高校生になってから、身体やジェンダーへの明確な違和感に気付いて、私の検索欄は「性転換」「FTM」「FTM ゲイ」などで溢れていた。性別はどっちかしかないと思ったし、だから、好きになる性もどっちかしかないと思った。
髪の毛を短くしたいというと「女の子なのに大丈夫なの?」「女の子が好きってこと?」って美容師に質問攻めされたり、いざツーブロで登校すれば男子の校則には当てはまらずにスルーだし(男子はツーブロNGだった)、あぐらをかく女子はお里が知れるとか校長がほざくしで…すごく窮屈だった。

大学生になって、当事者の知り合いも増えたり、いろんな本や記事を読んだりして、ようやく私のジェンダーや性的指向に近いものがわかった。
山梨にいたら絶対にオープンでいられなかったし、自分の「居場所」もわからなかった。

今では、ずっとクローゼットだった友達が打ち明けてくれたり、ワイワイ2丁目に行ったり、偽ることなく気ままに生きてる。

それでも日常に細かな引っ掛かりがあって、いつも笑いながらそれを殺してるのがつらい。まだまだ気ままにいられないと改めて感じる。

ある人が「幸せってマジョリティのものだから、自分はそんなものいらない」と話してくれた。でも私は自分のために、自分が幸せになるために学び続けたいし、できればその人にもどんな人にも幸せでいてほしい。

リアリストの皆さんには笑われるけど、私はそのために生きていきたい。