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Day4,100機(WTBF)

不安と興奮の朝

前日25機がフライトし、今日は100機への挑戦。

この日のフライトは、1機2名ずつで飛ばなければなりません。またドライバーもあまり手伝ってくれない。離陸までは同じランチサイトから飛ぶのでサポートできますが、着陸後は大丈夫だろうか…。ドライバーが着陸地に来なかったらどうしよう…。いや、もはや100台チェイスカーがあるのか?そんな不安がある中でのフライトだったので、みんな固まって飛ぼうという意識が働いていました。

この日の天気は穏やかに北西~西の風、風はとても分かりやすく、フライトするにはストレスを感じないとても良い状況。
昨日飛んだチーム以外は皆、サウジアラビア初フライトなので、そのワクワクと緊張感との中での準備となりました。

毎日が敬老の日

100台本当に自分のチェイスカーがあるのかも不明な状況だったので、Yさんはブリーフィング前に、自分のナンバーの張り紙がある車両を見つけたことに感激し、日本チーム全員に嬉しそうに報告して回るくらいでした。

ブリーフィングが終わると、外にはずら~っとチェイスカーが待機していました。

まず最初の機材をトラックに載せるところから、張り詰めた空気で、激しい声を掛け合いながらの積込でした。

その迫力と物々しさはベテランパイロット達でさえ、競技中ともまた違う緊張感をもって、助け合いの声を張り上げていたほどです。
その場その場の判断でスピーディーに積み込みをしていく光景がありました。

何せピックアップの荷台が高いので、特に高齢チームは載せるのが難しい。
(ちなみに日本人の構成は半分が60~70代)

そのころから「毎日が敬老の日」って合言葉が自然に出てきて、高齢チームを最大限サポートしながら、元気に動ける歳65以下の若者はほぼ一人で組み立てを行っていきました。
インフレ―ターも諸事情で8機中4台しかない中で、遅れを取らないよう進めなければなりません。

とりあえず半分インフレしてベルクロを閉じて待機したり、ドライバーとチェイスの共有をしたりと、できるところまでの準備を進めていきました。

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最初に飛び立ったのはTantoraオリジナル気球2機が先導し、それを追うように100機が一斉に飛び立っていきました。

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100機の迫力は佐賀に近いけど、それに加えて周りの広大な砂漠と遺跡の神秘的な光景が広がっていました。

まさに写真でしか見たことがない世界に飛び込んだような感覚でした。

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「すごい…。」
言葉に表せないけど、心からの感情が自然と声になってでてくるような感覚がありました。

風も穏やかで遊びやすく、飛んでいるときは何のストレスも感じない状態でした。

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正面に見えるトゲトゲしたように見える奇岩群がMadainSaleh

ほとんどの人が見に行きたい遺跡のある方向に向けて機体を運ばせ、ある人は奇岩の間をすり抜けて遊び、ある人はいくつもの遺跡を上空からアプローチし、ある人は低空でずーっと先の誰も行かないような端の遺跡まで見に行ったり…。

私も遺跡の予習が足りなかったのを反省しつつも、唯一知っていたMadainSalehの上を舐めるように飛び、その奇岩の迫力と歴史の奥深さを味わうことができました。

特にEさんはMadainSalehの端から端まで、岩の間の谷風をすり抜けるように誰よりも楽しんでいました。Mさん曰く、少しだけ球皮こするくらいスレスレを。

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MadainSalehには4機の日本チームが見に行っていたのですが、岩を超えると皆待ち合わせたかのようにそれぞれ違う風を使いつつも、歩けるくらいの同じ場所にランデブーして着陸しました。

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見える3機が全て日本チーム

回収はピックアップトラックで、僕らのチームは問題なく追いかけてくれていたのでホッと安心。
着陸後は気球を立たせたまま荷台に乗せ、球皮を回収していきます。

現地で感じる文化

着陸後回収していくのですが、現地のドライバーはほとんど手伝おうとはしてくれません。ただそれは残念に思うことではなく、おそらく文化的な違いが大きいと思います。

話せば普通の若者で、僕らのドライバーはイスラム教を学ぶ地元の大学生でした。彼らが来ている民族衣装のトーブ(白や黒のワンピース)とグトラ(赤白のチェックの布)は結構きれいにビシッと決めている人が多く、汚したくないのもあるみたい。日本でいう袴かスーツみたいな感覚かもしれません。

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あまり英語を話せる人はいませんが、その辺で教育環境の差も見えてきます。ゲストで乗りに来る人は若くても流暢にしゃべる人が多く、首都のリヤドから来ている人が多いみたいでした。

回収後の車の運転も自由で、端の路線であれば余裕で逆走します。サウジの道路は3路線くらいあるのに加え、中央分離帯があって曲がるのに不便なことが多いのです。この理由はよくわからないのですが、交差点を作りたくないからなのかな?(知っている方いたら教えてください)

車中で聞く音楽は独特で、若者でさえ洋楽ではなくイスラムの独特な民族音楽を流していました。


また「インシャラー」と彼らはよく言うらしいが、「神の思し召し」という意味らしい。干ばつで食べ物が得られなくてもインシャラー、オイルマネーで裕福になってもインシャラー。不確定な約束をするときは、「明日3時ね、インシャラー」って言えば「明日3時ね、もしトラブルがあって来れなくとも、しょうがない」的な考えが根底にあるようです。

僕もそのドライバーに「またドライバーになってくれたらいいね」と言ったら「インシャラー」と返されて、これだ!と生で聞いて感激しました。

充填


朝のフライトが終わりランチサイトに戻ると、サイトのすぐ横が充填所になっています。
100機が並ぶので結構時間がかかるのですが、こればっかりは仕方ないです。

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2列になって充填の順番を待ちます。

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順番が来たら、充填所横に車を止め、シリンダーを外して奥にもっていきます。
これが終わり、機材を倉庫に戻すと、ブランチに移動します。

食堂まではバス移動で、ある程度バスが満員になったらその都度出発するのですが、日本チームは全員が帰ってきてから出発したので最後のほうになってしまいました。

その日は午後のフライトは再びキャンセルになったので、ディナーまで休憩して、ほぼ1日が終了。

ほとんどの人が初フライトでき、遺跡の上も飛べた満足感で皆、笑顔で終われた1日になりました。

明日は再度100機フライトの予定。少し風が強い予報ですが、まだまだ飛べそうです。

つづく

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