スライド1枚で伝える「煎茶道”黄檗売茶”流の由来」
こんにちは。遠藤霜空です。
煎茶道 黄檗売茶流 準師範、日本茶インストラクターとして活動しています。
今回のnoteでは、私が教授を務める黄檗売茶流の名前の由来をスライド1枚にまとめてみました。
※Googleスライドを閲覧できない方は、以下をご参照ください。
「黄檗売茶流」を構成する二つの要素
黄檗売茶流の名前は「黄檗」と「売茶」(流)に分けられます。
黄檗とは
私たちのお手前が黄檗山萬福寺の茶礼を発展させたものであることを表しています。
売茶とは
煎茶道の祖、売茶翁の志を受け継ぐ私たちの精神を表しています。
黄檗山萬福寺とは
日本三禅宗の一つ、黄檗宗の大本山の寺院(京都・宇治市)です。江戸時代初期に中国出身の僧、隠元隆琦によって開山されました。
隠元は、中国から「唐茶」と呼ばれる釜炒り茶を持ち込みました。煎茶の前身となったお茶です。
禅宗では茶を飲む儀礼=茶礼が大切にされます。臨済宗では開祖・栄西が持ち帰った抹茶の茶礼が行われ、茶の湯の原型となりました。黄檗宗では煎茶の茶礼が行われます。
売茶翁とは
江戸時代中期の黄檗宗の僧(僧名:月海)で、煎茶の中興の祖と言われる方です。
月海は晩年、当時高価だったお茶を「代金はくれ次第、ただでも結構」と言って京の市中を売り歩きました。身分に関係なくお茶を淹れ、禅や人の生き方を説く姿に、人々は親しみを込めて「売茶翁」と呼びました。
売茶翁のお茶は、飲むうちに心の中に清らかな風が吹き抜けるような「清風の茶」を求める文人たちにも愛され「売茶翁に一服接待されなければ一流の文人とは言えぬ」と言われました。
最後に私が開催している煎茶道教室のご紹介です。日本橋・人形町で 黄檗売茶流の煎茶道教室を開催しています。煎茶道だけでなく、日本茶インストラクターの知識を生かしたワークショップも開催しますので、是非遊びにきてください。
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