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Poor Things    哀れなるものたち

日本公開は1月3週目くらいだったろうか?何となく見過ごしているうちに2月に入りそろそろ行かないと劇場鑑賞できなくなると焦りつつ平日の昼間に最寄りの映画館へ走った。

平日の昼間の映画館・・・・客の入りは30人くらいか。その殆どがオーバー60。一番後ろの席から眺めると白髪混じりとボウルばかりなので年齢判定は容易。
みんな大丈夫?前情報頭に入れてきた?
入れてたら観に来ないか。ま、とりあえず始まり始まり〜

初っ端から大人の女性が人目も憚らず「お漏らし」するシーン。
あちらこちらから息を呑む空気が伝わってくる。
これは原作本読んでから来ないとアカンやつって思ったのは後の祭り。
エマストーン演じるベラの成長過程で性の問題は切り離せないのだけど、文章にすれば様々な描写で表せるであろう場面が全て「パコパコ」してる画面になってしまう。それは食事のシーンも同じことで、口に物を運ぶだけの動画に料理の匂いや歯触りや喉越しが表現しきれないのと似ている。文学は偉大だ。

「どうしてあんなに意味のないセックスシーンが多いのだろう?」と評論していた方がいたけど、食事と同じ感覚だからじゃないかな。食事のシーンと同じくらいセックスシーンがあると多く感じるのかもね。
お菓子を摘んでる場面があっても何となく受け入れるのに乳首を摘んでる場面は見過ごせないのはなぜかしらね。人間って不思議。

新生児の脳を持った成人女性の肉体を持つベラ。だんだんとオトナ脳になっていく彼女が自慰行為にふけるシーンがある。
ベッドで仰向けになり、股間に手を伸ばしてクリトリスを触るのは納得がいく。
だけど、食卓でテーブルに乗ってるきゅうりをつかんでおもむろに突っ込もうとするのはいかがなものか。怖さの方が先に立たないか。少なくとも私の幼少期はそうであった。
思春期を迎えるあたりでも、何なら大人になってからでもいわゆる「中イキ」ができない女性は多いのだから、何でも突っ込めばいいってもんじゃない。この演出は男性目線または男性ウケ狙いかも。

船旅の船上で、70代くらいのご婦人に「あなたはあの素晴らしいことをしないの?」(セックスのこと)と質問するベラ。くだんの婦人は「もうそういうことがなくても楽しいことがたくさんあるの」と答える(台詞回しは大体です。意訳です)

「そんなの悲しい。でもせめてその指で自分を楽しませているの?」と聞くと「ええ、まだ楽しんでるわ」と答える。(全部意訳です。うろ覚えです)

そう、男と絡むのはしんどくなっても「この指で!この指さえあれば!」気持ちを落ち着かせたり幸せなひと時を過ごすことはできるのである。
かく言う私も、映画館で前に座っているあの女性も、みんなやってる。
でもね、ここ最近は、やりきろうとしても先に眠りについてしまうことも多い。「戻ってこい!漲る活力!」と思うこともある今日この頃。

いくつかのチャプターに分かれている映画の手法って最近流行ってるの?いや昔ながらかな?
インド映画「RRR」もそうだけど、途中で場面転換の区切りがわかりやすく出てくるのは絵本や紙芝居みたいで面白い。一息つける。次のシーンへに移行する覚悟ができる。期待が高まる。

リスボンの海と空の風景はお伽話の世界に入り込んだみたいで楽しかった。妙齢のワタクシがファンタジーに心奪われる年頃に戻ったのかと錯覚してしまったわ。いえいえ、いつだって女は夢見る少女なのよ。

総評:ま、映画なんて観てみないとわかんないよ。

というわけでよろしく。




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