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非日常が日常になる時

例えば、ケーキ。

そこら辺のジャンクなお菓子とは違ってしっかりしたケーキは何かの記念日とかお祝いとかなんらかの意味を持たせて食するのが正当な気がする。
これは「昭和の女」特有の感覚?いや令和のZ世代だってケーキは特別やろ?

熟年の女たちにとっての「出会い系サイト」や「女風エステ」も最初はこのケーキのように「非日常の特別な時間」であるに違いない。

いつもと違う私、ご近所さんに挨拶する時の「貞淑そうで」「性欲なんてありません」みたいな顔してる私じゃない私。会って数時間もしないうちに、乳首を吸われて体の熱いところを弄られる姿なんてみんな想像もできないでしょ?
実はすごいのよ、私。

私だって女なんだからね。
人並みにたまには「女」として扱われたいのよ。

そんな思いを抱えて、ドキドキしながらおっかなびっくり始めてみたのに
一年もすぎると当たり前になってくる。

いろんな男に会うことも
ホテルは同じだけど相手が違うことも
なんとなく「やってしまって」
あれ?やらなくてもよかったかな?
なんて思う日も来る。

おしゃれなケーキがスーパーの「じゃがりこ」に変わってしまう。
?違うな。じゃがりこは単体で美味しいし、むしろ食べる頻度を減らすように意識するジャンクフードかも。

ああ、そうか!
日常に食するものでさえ「規制」がかかる年齢にさしかかってるんだ。

じゃあ、非日常も日常もへったくれもあったもんじゃない。

食せる時に食せ!
飲める時にのめ!

やれる時にやれ!

人生残り少なくなると、「自分の意思で」「自分の記憶に残る」ように行動するのが一番大切です!と大きく断言してこの短い、さして意味のないnoteを終わります。ご精読ありがとう。


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