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好きな格好で出かける話

 世の中には、自分と違うものを排斥しようとする人がたくさんいる。
 最近SNSでよく見かけるのが「奇抜な格好は相手を不快にさせるので良くない」だとか、「アラサーでその服装は痛い」だとかいう意見。
 そういった意見を苦に、投稿を辞めてしまった人もたくさん見てきた。 

 確かに、たとえば「汚れた服で悪臭を振りまきながら街を歩いている人がいる。それでこちらも具合が悪くなった」というようなことであれば文句のひとつも言って良いと思うが、大抵の場合、否定意見をぶつけている人間は実害を被っていない。
 また、例に示したような場合であっても、もしかしたら相手は金銭的、身体的、精神的に何らかの問題を抱えているかもしれない。何も知らない他人が相手にも見えるかもしれない所へすぐに否定意見を書き連ねるのは、頭のいい行動とは言えないだろう。

 私は思う。みんな自信を持って好きな格好していいのにな、と。

 「街中で不愉快な格好の人を見かけた、やめてほしい」という内容の投稿を見かけたことがあるが、先にも言ったように最低限清潔感があり、かつTPOが守られているのならば否定される筋合いはなかろう。
 自分で買った服を自分の時間を費やして施したメイクやヘアスタイルでばっちり着こなしている人。
 他の何かと天秤にかけた結果、ファッションに費やす時間やお金をそちらへ回すことにしたため、すっぴんにそこら辺で買った服で過ごしている人。
 各人のライフスタイルに合ったルックなのだから、みな堂々としていて構わないはずだ。

 ただし、自分が自信を持っている格好だから全員に認めてもらえる、とは考えない方がいいかもしれない。
 あなたにも私にもきっと、善い悪いの問題ではなく、理解できないセンスというものは存在するはずだ。感覚なんてものは、千差万別なので。
 加えて悲しいことに、相手の容姿を否定したがる人についても、この世から決していなくならないと考えていいだろう。
 どこへ行こうと何をしていようと、他者を「ブス」だの「デブ」だの「ダサい」だの「見るに堪えない」だのと罵る人間に出会う可能性は、決して低くないのが現状だ。
 でも、こちらはもちろん、誰かを不快にさせようとしてその服を着ているわけではない。たとえこちらが相手のお目汚しをしたのだとして、罵詈雑言を浴びせられては、こちらとて不愉快である。
 「他人が不快になるからその格好をやめろ」と言われても、これではお互い様……いや、むしろこちらへ攻撃するつもりで言葉の暴力を働いている相手の方にこそ、大きな非があるのではなかろうか。
 そんな独りよがりな正義感でこちらを貶めんとしてくる相手に構っているくらいなら、その時間を使って自分の好きなことをした方が有意義だ。

 そして、もう一つ。否定と批判は決して同一視してはいけない。
 たとえば、「靴下はもう少し明るい色の方が似合うと思うな」という言葉をもらったとしよう。
 自信満々にコーディネートした服装に対してこう言われた時、否定されたように感じて怒り出したり、酷く打ちひしがれてしまう人がいる。
 ……現に、学生時代の私がそうだった。
 けれどよくよく聞いてみれば、これは否定意見ではない。あくまで「私はこう思う」または「こうしたらもっとかわいいよ」という、個人的な感想、または助言だ。
 こういった批判まで「否定された」と捉え、過剰に敵視ないしは無視してしまうと、自分しか見えない、いわゆる「メンヘラ」の世界に足を突っ込んでしまう。過去に覚えのある私も今後は気をつけていきたいし、これを読んでくださった方はぜひ私と同じ道を辿らぬよう、落ち込んだり怒ったりする前に、少し気にかけていただけたら……。
 何でもかんでも耳を塞ぐのは得策ではない。本当に。

 さて、こういったことを幾度となく風呂場やベッドで考えるうちに、私は自分の容姿に関わる否定意見に出くわした時、タンスの角に小指をぶつけたくらいの事故として片付けてしまえるようになった。
 こう意識することで、基本的には気兼ねなく好きなものを着て好きなメイクをして歩けるようになったわけである。
 ……とはいえ、精神状態によっては一言に対して何日も落ち込んでしまうようなこともあるけれど。

 新生活が始まり、期待と不安で心が疲れてしまうことも多いこの季節。
 どうか他人の意見に惑わされることなく、自分らしい姿で胸を張って新たな環境へ飛び込んでみて欲しい。
 微力ながら応援している者が、ここにおりますので。

 ……ここからは、蛇足になるのだが。

 先程ちらっと触れた「理解できないセンス」というもの。これが自分でも驚きなのだが、今は理解できないファッションも、時を経ては素敵なものに見えてくることがある。
 実際、私はカラーコンタクトをした女性アイドルに対して初め、「どこを見ているか分からなくて怖い」、「黒目が大きすぎて不気味」などと考えていたが、今や自身で毎日ばっちり装着して外出している。無いと物足りないくらいだ。
 もし否定し続けていたら、己の可能性をも消すことになってしまっただろう。なぜならカラコンをした私、いつもより可愛いので。
 そんなことも起こりうるので、理解できないものを頭ごなしに否定してしまうのはもったいないことだと思う。
 自分がされたような否定を他者にぶつけてしまわないためにも、自分の可能性を狭めないためにも、「よくわからん格好だけど君はそれが好きなんだね」くらいの認識でもって、自分と違う価値観を受け入れていきたいものだ。

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