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ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー

皆様こんばんは!けんちゃんです。

今日は「ソーシャル・ジャスティス・ウォーリアー」についてお話します。

以前からあった言葉らしいのですが、私は最近知りました(遅い、笑)

Wikipediaによると

ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー(英: social justice warrior、略称 : SJW、直訳すると「社会正義戦士」)は、フェミニズム、人権(市民権)、文化多様性[1][2]、アイディンティティ・ポリティクスなど様々な社会進歩的な考え方を拡散しようとする人を指し示す言葉である。軽蔑的なニュアンスが色濃い[3]。

だそうです。一見「文化多様性」を拡散させる、と言う意味においてはポジティブに聞こえますよね。

「〇〇であるべき!」
「〇〇を認めるべき!」

と正義感を持つ事が悪いとは一概には言えないですが、その「〇〇すべき」から離れている人々を攻撃したり、非難したりすると…

それは「正義感の名のもとによる攻撃」

と化してしまいます。

人によって何が「最善」で何が「正解」かは、置かれた立場、環境、価値観で相違があるのは当然ですが、この「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」は正義感を上手くコントロール出来ずに自分の価値観だけが全て!と信じて、手放せない。

私もバレエ面では正義感が強かったほうで

「〇〇は間違っている」
「〇〇が正しい」
「〇〇を認めるべき」

と吠えていた部類にいましたが、去年あたりから
その「無駄な正義感」を少しずつ手放していきました。

いまは

「その正義感は、どこから来る感情?」

と俯瞰する事が出来るようになりました。

長年の「思い癖」を取り除く作業は大変かも知れないですが「無駄な正義感」を手放すと

「あれ?こんなに生きててラクになれるの?」

と拍子抜けしてしまうくらい(笑)

クラシックバレエの世界では

「こうあるべき」

がもちろんありますが、そこだけに囚われないでいると、見えてくる景色や可能性は広がると思います。

せっかく沢山ある可能性を「ソーシャル・ジャスティス・ウォリアー」の「偏りすぎた正義感」で封じ込めずに生きていけたら、ラクかも知れないですね。

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